「ジーキル博士とハイド氏 」ロバート・ルイス・スティーヴンスン 著

この作品ほど、謎や真犯人が知られているものはないだろう。その謎を知る人のうち、原作を読んだことがある人の数はかなり少ないであろうにも関らずだ。実は僕も最近まで原作を読んだことがなくて、先日、ふと気が向いて読んでみたところ、古典的かつ上質なホラーミステリー小説で非常に面白かった、「怪人」としての姿ばかりが広まっているのは、小説として幸せなのか不幸せなのか。ということでネタバレ――これほど世に知られまくっている作品でネタバレという言い方が妥当なのかどうかわからないが――を含んでいます。

謎解き役となる弁護士アタスン氏と友人のエンフィールド氏との会話でかわされる暴虐で嫌悪感を呼び起こさずにいられない人物ハイド氏の噂話から始まり、ハイド氏を庇護する人望ある名士である医師ジーキル博士、ついに起こるハイド氏による往来での国会議員殺人事件と捜査にも関らず杳として知れないハイド氏の行方、深まる謎、謎めいたことをほのめかしつつ憔悴してこの世を去るジーキル博士の親友ラニヨン博士、突然人前に姿を現さなくなったジーキル博士、といった展開を丁寧に積み重ねてすべての謎が明らかになるクライマックスまで、ほんとうによく出来ている。

本作品が描かれた十九世紀後半の欧米社会の特徴として合理主義と非合理的思弁の混在・融合がある。科学の進歩、産業革命の進展による発展は他方で旧来のキリスト教信仰を大きく動揺させ、人間の救済は教会や旧来の教義・伝説によるのではなく、個人の中に聖性を見出そうという動きが広まって、一つの個人としての完成を目指す自己宗教と云うかたちをなしつつあった。

ジーキル博士とハイド氏という善と悪とを象徴する人格の混在と分離、自身の中の善と悪との葛藤は、そのような当時の社会背景と非常によくマッチするアイデアであり、また当時の社会を非常に鋭く反映したキャラクターであったのだろうと思う。善悪二要素の分離は、啓蒙主義的理性を信奉する当時の人々の中でも悲願であった。同時にジーキル博士の末路はその悲願ゆえの陥穽として読者に恐怖を呼び覚ましただろう。そして、十九世紀のその自己宗教すなわち個人主義の模索が現代まで大きな流れとして続いてきているだけに、普遍的なキャラクターとしてある種デフォルメされて生き残ってきた。

『もしもそれぞれを、べつべつの人格に住まわせることができたなら、人生から耐えがたいことはのこらず消えるはずだと思った。邪まなほうは、もうひとりの、正しいほうの向上心や自責の念から解放されて、おのが道を行けばいい。そうすれば正しいほうは、もはや自分につきまとう悪魔の手で、恥や悔悟にさらされることなく、善行によろこびを見いだしつつ、着実に、安心して、向上の道を進むことができる。そんな相容れぬ存在がひとつに束ねられ、悶え苦しむ意識の子宮のなかで、まるきり正反対の双子が間断なく戦っているのは、人間の呪いなのだ。』(P105-106)

ジーキル博士とハイド氏との姿の急激な変化の前提として『肉体が、じつは精神を構成する諸力の一部たる、ただの霊気であり透過光である』(P106)という説がジーキル博士によって提示され、ゆえに悪たるハイド氏になったときにジーキル博士は全く別の醜悪な姿となるのだが、これは十九世紀に隆盛を誇った心霊主義に共通する考え方であって、ゆえに当時の読者の多くはスムーズに受け入れることが出来ただろうと思う。著者スティーヴンスンが心霊主義を信奉していたかどうかは知らないが、当時話題の考え方をさらりと取り入れてお話を作っているあたり、当代随一の流行作家の手腕というところか。

本書の解説によれば、発売(1886年)の翌年には早くも戯曲化されて好評を博し、主演俳優の一人二役が話題となったという。さらに1888年、ロンドンで正体不明の連続殺人鬼「切り裂きジャック」の事件が起こり、本作と結びつけられてさらなる話題となった。本作はおそらく、相当に”リアル”な作品として当時の人々に読まれていたのかもしれない。

また、悪の象徴としての鬼への変身という点で日本の能・狂言を彷彿とさせられるが、当時の人もそう思ったらしく、本書には1890年に英国で本作の戯曲を観劇した日本人の演劇評、その名も「鬼狂言」も付されている。評者は高橋義雄(1861~1937)で、福沢諭吉門下生で後に三越に入り経営改革に辣腕を振るった人物である。手放しで絶賛しており、『日本の芝居座に移しても随分面白き狂言となる』『居士はこの芝居の原本たるスチヴンソン氏の小説も持参せり』などと、相当楽しんだ様子が伝わってきて面白い。

ネタバレ状態で読むことが宿命づけられているミステリー小説だが、今読んでも色褪せることなく楽しめる作品となっていると思う。

参考書籍
・吉村 正和 著「心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)
・小田垣 雅也 著「キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)

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