ひとは自身が属すると考える国、地域、民族、共同体の歴史の中に「黄金時代」を想定するものらしい。いつが「われわれの歴史」の「黄金時代」と考えるかは必ずしも統一されるわけではなく、その認識の違いがときに歴史観の対立となったりするが、稀にそれが揺るぎなく一致することがある。その最たる例として、スペインの「黄金時代」はスペイン人に限らず、世界中の人々の間でほぼ一致した認識があるだろう。十六世紀から十七世紀にかけて、ハプスブルク家の支配の下で世界中に植民地を築き「日の沈まぬ大帝国」として覇を唱えた時代である。
スペインに黄金時代はあったのか
スペインの黄金時代については十七世紀から十八世紀の人々は十五世紀末~十六世紀初頭のカトリック両王の時代を黄金時代と考えていたらしい。これが十八世紀になると啓蒙思想家たちの間で十六、十七世紀の文化的成功こそ「黄金時代」にふさわしいと考えるようになり、その理解が現代まで定着している。一方で十九世紀の自由主義革命の時代になると、黄金時代を否定して、ハプスブルク家支配を専制政治と人種差別の時代だと考えるようになった。
後者の理解には「黒い伝説(レイェンダ・ネグラ)」の存在も少なからず影響を及ぼしている。「黒い伝説」とは要するに長きに渡って歴史的に作られてきたスペインの悪評である。古くは1580年、独立戦争中のオランダ総督オラニエ公ウィレムによる「令名高きウィレム公の弁明ないし擁護」で、彼はフェリペ2世の醜聞やスペイン人による新教徒弾圧、さらに植民地でのインディオ虐殺などをあることないこと書きたてて出版し、欧州中に広めた。スペインは常に国際政治の中心で、敵対する国々が自国の利害に応じてその都度悪評を流し続けており、それらがやがて「黒い伝説」として形作られることになっていった。1913年にこれらを「黒い伝説」と名付けた歴史家フデリアスは『われわれのいう黒い伝説とは、スペインは異端審問制度が支配し、無知で狂信的であり、教養ある民族のなかに数えられることはできず、昔も今も常に暴力的な抑圧をしようとし、進歩と改革の敵であるという伝説である。』(「世界歴史大系 スペイン史〈1〉古代~近世」P324)と書いている。
スペインの伝統主義者の間では「黄金時代」を憧憬し、特に王政とスペインの領土的統一性擁護の観点から無条件に称揚する声が大きく、それに対して市民派とされる人々は「黄金時代」の絶対王政を、殊更強大で専制的なものと捉えて批判を行うというように、極端から極端へ振れがちであるようだ。これには、スペインのナショナル・ヒストリー研究が1975年まで続いたフランコ独裁の影響で他国と比べて非常に遅れていたという要因がある。フランコ独裁下では「黄金時代のスペイン帝国」礼賛の歴史書以外は発禁であったため海外のスペイン史研究書が目に触れることは無く、他方で反体制運動として、フランコ独裁と「黄金時代のスペイン帝国」を重ねあわせて批判をするという構図がその後も続くことになった。
しかし、フランコ独裁が終わり、スペイン史の研究が本格的に進むにつれて、この巷間云われる「黄金時代」はそもそも本当に「黄金時代」であったのか?という疑問の声が歴史家の間で大きくなってきた。黄金時代などという繁栄の時代ではなく、むしろ「腐食するときの病的な輝き」(P2)の時代に過ぎなかったのではないかとすら言われるほどに。
「黄金時代」の暗部をどう評価するか
その表現が正しいかどうかはともかく、本書は、「スペインの黄金時代」を実証的に描くことで、著者いわく『スペイン史学の現状について簡潔だがバランスのとれたガイドを示し、近年の関連文献と議論の主題となっている中心的課題に焦点をあてること』(P5)を目指した本である。とはいえ、基本的なスタンスは『ナショナル・ヒストリーとその神話に対する批判的姿勢に貫かれている』(訳者解説P139)ため、『これまでの理解に対してやや厳しすぎる否定的評価を与えている箇所も見られることは否めない』(訳者解説P139)。
憧憬するものからも敵視するものからも存在が認められる「黄金時代」神話を丁寧に否定し、突き崩していく様は非常に面白いが、一方で異端審問やユダヤ教徒・ムスリムの迫害、「血の純潔」の規範、南米の植民地統治などについて社会的役割・影響をかなり軽いものと見ている点は気になる。『ユダヤ教徒の迫害は、スペインのイスラーム教徒が体験したものと比べると、数字的には小さな問題』(P88)、といい、モリスコ(イスラームからの改宗者)の『追放はスペイン経済にいかなる深刻かつ長期に渡る害も与えなかった』(P89)とし、また植民地政策についても歴代の王がインディオの奴隷化を禁じたという程度の言及に留まり、インディオの強制労働などについては全く触れられていない。
これは従来の黄金時代神話でみられるようなスペイン全土に君臨し強権的支配を行使する絶対君主というイメージが現実から乖離しており、その実態は「複合王政」であって、ハプスブルク家の強権的支配がカスティーリャに留まり、それ以外の地域は行財政機構も諸国で個別に存在し、かなり低い影響力しか行使できていなかったという本書でも説明され近年ほぼ通説となった視点から、そもそも弱い権力なのだから強制力を行使できないこと、および法と実際の運用との乖離が現代社会と比べて非常に大きいことなどを考慮した理路なのだと思うが、多分に「黒い伝説」という虚構へのカウンターを意識した、いわば「ためにする議論」のように思う。
訳者解説でも疑問が呈されている。
『ただ、「侮蔑の滝」とも喩えられる身分的秩序の中で、「正統なるカトリックであり、ユダヤ人やモーロ人の血の混じらない」という社会的価値が特権的諸団体の加入規約として一九世紀前半のアンシャン・レジーム解体まで続いたという事実を、スペイン黄金時代の社会と文化の特徴として考慮しなくてよいのかどうか、訳者としては疑問を提起しておきたい。それは、近代国民国家形成において、スペインでは寛容思想は現れても信教の自由の主張はなかなか広がらず、国家宗教としてのカトリックが伝統的立場からも自由主義的立場からも唱えられるという問題とも繋がることだからである。』(訳者解説P138~139)
特にこの「血の純潔」の観念は反セム主義思想とともに近現代の人種主義の萌芽と見るのが妥当で、殊更「黒い伝説」で語られるような残虐でおどろおどろしいものではなかったにしても、スペイン社会に根付いた一つの特徴として丁寧に分析されるべきものであろう。
スペインの黄金時代とは何だったか
著者はこう書いている。
『したがって、いわゆる黄金時代は、私たちの時代にいたるまで優勢だった一つの思想の反映であった。「衰退」の概念は神話的成功の時代へのカスティーリャの誇りを強めると同時に、カスティーリャ人にはほとんど統制のできなかったとする諸要素――異端審問所、外国の資本家たち、悪しき王、破壊活動分子たるユダヤ人たち――に失敗の原因を求めようとした。
(中略)
だが、失われた黄金時代の中にいまの国の諸問題に対する答えをみつけようとする試みは、生産的ではなかった。スペインの諸問題は現実には国がいま抱えている社会、経済、思想に固有のものだった。』(P131)
従来の伝統主義的「黄金時代」神話と「黒い伝説」とに様々な事実を積み重ねることで実証的に反駁していく近世スペイン史のコンパクトな入門書であり、スペイン史学の論争のテーマも知ることができる内容である一方で、本書の内容に対して、一つ一つ調べて行きながら批判的に読むことが必須であるという点でスペイン史を深く理解するための「入門書」になっていると思う。本書の翻訳者である立石博高先生が編者となっている「世界歴史大系 スペイン史〈1〉古代~近世」「世界各国史16 スペイン・ポルトガル史」の通史本二冊をその都度参照しつつ本書を読むのがオススメ。
参考書籍
・関 哲行、中塚 次郎、立石 博高 編著「世界歴史大系 スペイン史〈1〉古代~近世」
・立石 博高編著「スペイン・ポルトガル史 (新版 世界各国史)」
・成瀬 治 著「近代ヨーロッパへの道 (講談社学術文庫)」
・君塚 直隆 著「近代ヨーロッパ国際政治史 (有斐閣コンパクト)」