山川出版社の世界史リブレットシリーズで前回紹介した「中世ヨーロッパの都市世界」とあわせて読みたいのが、都市に対して中世ヨーロッパの農村について概観した本書「中世ヨーロッパの農村世界」である。
中世ヨーロッパの農村と言われてまず想像するのは封建制、すなわち騎士を傘下においた封建領主たちが村落共同体を支配し「荘園」で農民たちを「農奴」として奴隷的に酷使して、その不満は時に農民反乱として爆発するというイメージではないだろうか。農村は確かに中世ヨーロッパ社会を構成する基盤となっていたが、中世ヨーロッパの農村研究も随分と変わって前述のような、「自由な都市」の対照としてのイメージではなくなってきた。
『近年の中世農村史研究は、このような古典的な理論やイメージにいくつかの根本的な変更を加えると同時に、新しい中世農村像を描くための豊かな材料をもたらしてくれている。』(2頁)
近年の研究成果が他の世界史リブレットシリーズ同様、90ページほどのコンパクトなサイズで中世農村の発展史と実態、そこに生きる人々の姿まで鮮やかにまとめられている。
第一章にあたる「中世農村を取り巻く自然」では、中世ヨーロッパにとっての森の重要性や人々の生活を大きく左右した気候変動など、農村を左右する自然環境の特徴と変化についてまとめられている。地域毎に違いがあるが、中世全体について概観すると以下の通りとなるという。
『八世紀前半から一一六〇~一二〇〇年にかけての西ヨーロッパの気候は、前後の時期と比べてより温暖であるが、九世紀末に、一時的な寒冷期があったことがわかっている。そして十二世紀後半からほぼ二世紀あまり寒冷期が続いたのちに、十四世紀後半から十六世紀にふたたび一時的な温暖期をむかえたと考えることができる』(10頁)
続く「フランク時代の農村」は中世ヨーロッパ前期となる五世紀~十世紀にかけての村落共同体の成立と特徴、変容がまとめられる。古代ローマ時代の地中海的な食習慣であるパンとワインは修道院の展開とともにヨーロッパに広まった。これにゲルマン社会的な狩猟採集と牧畜を中心とする食習慣とが五~十世紀にかけてまじりあい農業生産のスタイルを作り出す。これにカロリング時代に登場する領主層が多くの土地を集積して大所領を築き、「古典荘園制」が成立する。この古典荘園制の実態について、中世考古学の進展を踏まえて描かれている。
第三章にあたる「中世農村の成立」では紀元千年前後から十三世紀まで、本書の中心となる中世ヨーロッパの農村の成立と全体像が整理されている。ここは実に濃密な内容である。温暖な気候を背景に「農業革命」と呼ばれる「鉄製農具」「有輪犂」「水車・風車」の利用や「三圃制」の成立など農業生産技術の革新に支えられた農業生産力の飛躍的増大を背景に、人口の爆発的増加が起こり、森林をきりひらいて農地・農村を拡大する「大開墾時代」が訪れる。また自給自足に留まらず商業作物の生産が一般的になり、商業活動が活発化した。また領主と農民の関係も変わり、「パン領主制」と呼ばれる領主が警察権・裁判権を独占する一方で被支配者である農民は貨幣経済の進展とともに、奴隷労働に代わって賃金労働、現物の貢租に代わって貨幣で納める地代が一般的となって古典荘園制が解体して、中世に特徴的な農村が登場する。しかし、画一的に語られるものではなく地域差も大きく、農奴制を色濃く残す地域もあれば、より自治権を保有した農村もあり、その差についてもまとめられている。また、その中で生きた農村の様子も生き生きと紹介されている。
最後の「黄昏の中世農村」では十三世紀末から十五世紀にかけて、中世農村が迎えた危機が農村をどのように変えていったかが描かれている。十三世紀末から十四世紀、開墾運動が停滞し、農業生産が限界を迎える中で、寒冷期を迎え、飢饉や「黒死病」を始めとする疫病が蔓延し、百年戦争を始めとする戦乱が各地で頻発するようになると、農村に限らず中世ヨーロッパ社会は危機的状況を迎えた。
『農作物の収穫量は低下する一方、人口減少の結果、食料需要も落ちこんだために、穀物価格は下落していった。反対に、労働力減少は賃金上昇をもたらし、雇用した労働力に依存するようになっていた領主の直営地経営を困難にした。近隣の都市に農民が逃亡、流出することも多くみられた。こうした経営困難の結果、没落する中小領主や地方豪族も多く、十四世紀の危機はなにより封建領主制の危機だった。』(75頁)
このような危機に対応して、放棄された農地の集約化、都市を消費地とした多様な商品作物生産への傾斜、人手不足への対応として農地から牧畜経営への移行などが見られ、その帰結として、貨幣経済が発展し農民間の経済格差が広がり、富裕な自立的農民層と領主・地主と小作契約を結んで隷属する賃金農業労働者が成立するようになった。
農村の変容は封建領主たちの地盤を揺るがし、特にイングランドやフランスなど王権の強化が進んだ地域では領主制の弱体とともに統一権力による領域国家の成立をもたらす一方、統一権力を欠いたドイツでは領主制はより強固となった。王権による統一権力や強固さを増した領主たちは画一的な行政機構と税制を志向し、これに農民たちはイングランドの「ワット・タイラーの乱」やドイツの「ドイツ農民戦争」など大規模な反乱をもって抵抗する。この抵抗の過程は近代まで繰り返されながら、中世的農村は領域国家の下で再編されていくことになる。
駆け足で概要だけ俯瞰的にまとめたが、以上のような変化を踏まえつつ、史料の引用や図版、そして様々な遺跡の調査結果や統計資料なども多く紹介されて中世ヨーロッパの農村世界の実態が具体的に描かれており、基本を押さえるのにとてもお勧めである。