ヨーロッパ中世史でお馴染み「中世ヨーロッパの都市の生活」「中世ヨーロッパの城の生活」などの著作で知られる中世史家・著作家ジョセフ・ギース&フランシス・ギース夫妻の奥様の方、フランシス・ギースによる騎士の勃興から衰退までをコンパクトにまとめた一冊である。原著は1984年。
第一章・第二章では騎士の台頭についての諸説が整理されつつ簡潔にまとめられる。732年、トゥール・ポワティエ間の戦いで勝利したカール・マルテルは戦後、イスラーム軍の騎馬戦術に倣って騎兵を重視した編成を実施するようになり、以後、ピピン、カール1世(カール大帝、シャルルマーニュ)とカロリング朝時代に貴族身分が台頭、乗馬に際しあぶみが採用され、甲冑や武器の改良が進んで戦闘力が向上し、十字軍の熱狂の中で神の軍隊としてのイデオロギーが確立、十二世紀ごろまでに騎士身分の世襲化が進み、その地位を上昇させて中世封建社会の中で支配的階級として位置づけられていく。
『近年の学説は、騎士と中世貴族と封建制の起源をもう少し複雑なものとしてとらえている。歴史学者の大半は、騎士が八世紀に登場したとも、騎士が中世貴族や封建制の起源だとも考えていない。シャルルマーニュとその後継者たちの時代にも由緒正しい貴族は存在したこと、王に土地と任務を与えられたことによって富裕になったのは事実であること、しかしその起源は近年出現したばかりの騎馬戦士階級ではなく、フランク王国時代の貴族であること、が大方の見解の一致するところである。』(20頁)
こうして台頭してくる騎士の姿を、第一次十字軍、吟遊詩人や騎士道文学の隆盛、テンプル騎士団、そしてプランタジネット朝(アンジュー帝国)草創期の騎士ウィリアム・マーシャル、百年戦争前半期のフランスの騎士ベルトラン・デュ・ゲクラン、百年戦争後半期のイングランドの騎士ジョン・ファストルフの三人の騎士の生涯を辿りつつ、最後の第九章で騎士の衰退、近代の騎士道文化の再発見までを視野にいれて描く。
本書でも紹介されているが、騎士を神の軍隊たらしめることになった教皇グレゴリウス7世による「グレゴリウス改革」の理論は確かにすごいインパクトであったのだろう。皇帝=世俗君主に対する教皇権の優越、と一言でまとめてしまえば簡単だが、教皇のために戦う者は現世の利益のみならず来世での救済を約束されたことで、十字軍という聖戦の理論を準備した。騎士のイデオロギーへと昇華される神の戦士という観念をはぐくんだ十字軍に騎士が参加したのは、純粋な信仰心とか贖罪とか巡礼への欲求とか聖地奪還の使命とか金銀財宝とか様々な目的はあるが、要するに「射幸心を煽られた」というやつだったような気がしてならない。
十字軍に限らず騎士たちにはたとえどんなに高潔な人物であってもそういうギャンブラー的心理、例えるなら、あわよくばSSR引けないかなとガチャを回し、それだけにとどまらずガチャを回すこと自体を喜びとしているような、現代でもお馴染みの心理を感じるのだがどうだろうか――騎士たちの憧れがアーサー王やシャルルマーニュなあたりも何かゴホンゴホン。
南フランスは地中海の繁栄によって豊饒な文化が栄え、特にトゥルバドゥール(吟遊詩人)による叙事詩・抒情詩が盛んとなった。彼らの様々な詩が騎士道文化に大きな影響を及ぼしたわけだが、本書ではその中でも十二世紀末に活躍したアルナウト・ダニエルという吟遊詩人に注目する。ペトラルカが「偉大なる愛の巨匠」と称え、ダンテが「腕の良い母国語の詩人」と評する、『トゥルバドゥール詩人の最高峰』(105頁)と目される人物である。南フランスのトゥルバドゥール文化はアルビジョワ十字軍によって壊滅的打撃を受けて衰退していくが、北フランスで栄えるアーサー王伝説やシャルルマーニュ伝説をテーマとした騎士道文学と並んで騎士たちに多大な影響を及ぼした。
ウィリアム・マーシャルやベルトラン・デュ・ゲクランはお馴染みだがジョン・ファストルフ(1380~1459)はどうだろうか。実はギースの著作では『中世ヨーロッパの家族 (講談社学術文庫)』に続いて二度目の登場となる人物だが、彼は確かに興味を惹かれる。
父の代に領主の娘と結婚したことで下級騎士の仲間入りをした富裕商人の家に生まれ、自身も官僚としてキャリアをスタート、三十代半ばでもまだ従騎士だったがアジャンクールの戦いとその後のヘンリ5世による北フランス征服戦争で活躍して出世を重ね、1424年のヴェルヌイユの戦いでは後にジャンヌ・ダルクの戦友として知られるアランソン公ジャン2世を捕虜とする軍功を上げてガーター勲章を与えられ、摂政ベッドフォード公ジョンの腹心として軍事から内政まで幅広く活躍し、イングランド随一の知将・勇将として名をはせる。
かの乙女ジャンヌ・ダルクが登場するオルレアン包囲戦では補給・増援部隊の指揮を務めて転戦した。オルレアン包囲戦でフランス側が窮地に立たされるきっかけとなったニシンの戦いでフランス軍を敗北させたのも彼であるし、彼が増援部隊を率いて南下してきていることを聞いたジャンヌ・ダルクはオルレアン守備隊司令官オルレアン庶子ジャン(後のデュノワ伯ジャン)にファストルフが来たら知らせるように強く要望している。パテーの戦いで敗軍の将となるが、その後も百年戦争でイングランド軍の指揮を執り、1440年に引退している。
シェークスピアが「ヘンリー六世」などの著作で彼を臆病な人物と描いたことで無能・怠惰な人物イメージが残ったが、史実としてはその正反対、百年戦争後期のイングランドを代表する優秀な軍人であった。また、戦争企業家としても有能で百年戦争を通して多大な財を成した成り上がり的な人物である。
あれ?騎士?と思われる通り実に騎士らしからぬ人物である。本書でもまさに時代の変化によって変わりゆく騎士像の代表的な人物として挙げている。この人物については、イングランドで百年戦争期に広まった「疑似封建制(バスタード・フューダリズム)」と絡めて解説されるあたりが本書の白眉だろう。
「疑似封建制(バスタード・フューダリズム)」は本書の訳注では『軍役奉仕を封建的な義務としてではなく、正式な契約のもとに求め、報酬に対する見返りとして使える主従関係を基本として成立している封建制度』(285頁)と説明される。「疑似封建制」についてはアンドレア・ホプキンズ著『図説 西洋騎士道大全』(331-333頁)に「歯型契約書」と呼ばれる契約形態について詳述されているので深く理解したいならそちらも。ある種の過渡的な形態で、ファストルフはこのような契約を背景にして主君だろうとなんだろうとひるまず強く権利を主張していて、実に興味深い。また、ファストルフについての史料として名高いのが、イングランド中近世家族史・社会史の超一級史料として知られる彼が晩年に契約した弁護士ジョン・パストンの一族が残した「パストン家書簡集」である。このあたりは同著者の『中世ヨーロッパの家族 (講談社学術文庫)』が詳述しているのであわせて読むことをお勧めする。
華々しく戦い、騎士道文化を栄えさせ、そして歴史の大きなうねりの中で、やがて『ドン・キホーテ』でパロディ化されるまでに朽ちていく騎士たちは、近代のロマン主義的潮流の中で再発見されていく。著者は騎士道を構成する三つの要素として軍事・宮廷・宗教を挙げそれぞれ美徳となる行動規範が存在していたことを描いているが、同時にその三要素は騎士道の理想としてではあったが実体からは遠かったこともまた指摘する。伝わる人には伝わるだろうニヤリとさせられる本書の最後の一文が粋だと思うのだがどうだろうか。
『中世騎士は多くはローランで、ガラハッドを彷彿とさせる騎士は稀だったのである』(314頁)