ヨーロッパ史

スポンサーリンク
フランス史

ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡

ジル・ド・レ――フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友にして数々の軍功を重ねた百年戦争の英雄、フランス王よりも富裕とまでいわれたフランス屈指の大貴族・・・しかして、その栄光の陰で快楽の赴くままに百数十名にも上る子供たちの大量殺戮を行ったと...
フランス史

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ~傭兵隊長から元帥へ上った百年戦争の勇将

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(” Jean Poton de Xaintrailles”,1390年頃生~1461年10月7日没)は百年戦争後期フランスの傭兵隊長。ジャンヌ・ダルクの親しい戦友の一人。同郷の傭兵隊長ラ・イルことエティエン...
フランス史

オルレアン解放後のイングランド軍追撃戦「ロワール作戦」と「パテーの戦い」

「ロワール作戦」 1429年5月8日、イングランド軍はオルレアン市の包囲を解き退却した。オルレアン包囲戦はフランスの勝利に終わったが、イングランド軍は主力を温存したまま退いたに過ぎない。5月11日、国王シャルル7世が待つロッシュでオルレア...
スポンサーリンク
フランス史

オルレアン包囲戦~勃発の背景からジャンヌ・ダルクの登場、終結まで

前史 フランス王シャルル6世が発狂して統治能力を失って以降、対立していたブルゴーニュ派とアルマニャック派はイングランド王ヘンリ5世に同盟を求め、両者の対立を好機としたヘンリ5世は1415年フランスに侵攻、アジャンクールの戦いでフランス軍を...
フランス史

百年戦争「アルマニャック派」とは何か、成立から消滅まで

アルマニャック派(” Armagnacs”)は1410年、台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太...
フランス史

百年戦争「トロワ条約(1420年5月21日)」の内容と問題点、影響について

前史 フランス王シャルル6世が狂気に陥り統治能力を喪失した後に主導権を握ったブルゴーニュ公ジャン無怖公と反ブルゴーニュ派諸侯からなるアルマニャック派との内乱に乗じてフランスに侵攻したイングランド王ヘンリ5世は1415年10月25日、ア...
ブリテン諸島史

英国史上屈指の名君アルフレッド大王(在位871~899年)の生涯

「アルフレッド大王( ” Alfred The Great ” 古英語 “Ælfrēd ”)」はウェセックス王エゼルウルフと王妃オズブルフの第四男として849年に生まれた。いずれも短命の在位となった三人の兄に続いて871年4月23日、ウェセ...
ヨーロッパ史

「公会議主義」の登場から退潮まで~中世末期教会改革の挫折

公会議(ラテン語” Concilium Oecumenicum”,英語" Ecumenical council”)は以下のように定義される。 『カトリック教会において全世界の司教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教...
ヨーロッパ史

歴代ローマ教皇の一覧

最初期のローマ教会は誰か一人の司教に統率される組織ではなく、複数名の「司教」「司祭」による集団指導体制であったと考えられている。ローマ「司教」の最初のリストは160~185年頃に作られ、西暦220年頃、16代目カリクストゥス1世期にペトルス...
フランス史

ジャンヌ・ダルク活動・関連事項全年表

1412~1428年   年代 事項 1412年1月6日 ジャンヌ・ダルク誕生 1415年10月25日 アジャンクールの戦い(フランス軍壊滅) 1419年9月10日 ブルゴーニュ公ジ...
フランス史

「ジャンヌ・ダルクの旗」のデザインや逸話、役割のまとめ

ジャンヌ・ダルクのイメージとして欠かせないのが常に掲げていた軍旗ではないだろうか。彼女は処刑裁判の供述でも『剣よりも旗の方が四〇倍も好きだった』(注1)と語っており、非常に気に入っていたものだ。 ジャンヌ・ダルクの旗の製作と特徴 シノン...
フランス史

「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争

2016年2月、ジャンヌ・ダルクのものとされる十五世紀の指輪がオークションに出品され、フランス西部バンデ県の歴史テーマパーク「ピュイ・デュ・フー」が37万6833ユーロ(約4700万円)で落札、翌月より同テーマパークで公開されたというニュー...
フランス史

クリュニー修道院の改革運動(十~十一世紀)まとめ

「クリュニー修道院運動」は十~十一世紀にかけてのヨーロッパでおきた、フランス・ブルゴーニュ地方のクリュニー修道院を中心とした世俗・司教権力からの自由と修道士たちの倫理的刷新を目的とした改革運動で、この結果、世俗権力から独立した教皇直...
ブリテン諸島史

マスター・ジェイムズ~中世ヨーロッパ屈指の築城の名手

「築城の名手」で思い浮かぶ人物というと誰だろう?藤堂高虎?加藤清正?それとも黒田官兵衛や太田道灌?日本の城だとそうだろうが、中世ヨーロッパにも築城の名手がいた。セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Sa...
ヨーロッパ史

フィボナッチの登場と複式簿記の誕生が育む十六世紀数学革命

レオナルド・フィボナッチ 『インドの九つの数字は9、8、7、6、5、4、3、2、1である。これら九つの数字とアラビアではzephiriumと呼ばれる記号0でもって、以下に示すように、任意の数字を表すことができる。』 (山本義隆著「一...
フランス史

ジャンヌ・ダルクの生年月日が1412年1月6日になるまでの経緯

ジャンヌ・ダルクの生年月日は1412年1月6日であるとされるが、史料による直接的な記述に基づくものではない。 1412年生まれなのか? 生年についてはジャンヌ・ダルクの処刑裁判での証言に基づいている。 フランス・ノルマンデ...
ブリテン諸島史

アイルランドの国宝『ケルズの書』とは何か

アイルランドの国宝、八~九世紀に作成された装飾写本の傑作『ケルズの書("The Book of Kells")』がデジタル化され、収蔵されているアイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館("The Library of Trini...
ブリテン諸島史

アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡

七王国時代の開幕 ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢力争いをはじめた。この時代は有力な七つの王国――ケント(” Kent “)、エセックス(” E...
ヨーロッパ史

ピピン3世~カロリング朝の創始と「ピピンの寄進」

ピピン3世(小ピピン,”Pipin III”, 714年生~768年9月24日没)はカール・マルテルの子。メロヴィング朝の王キルデリク3世を廃し、自らフランク王位に就いてカロリング朝を創始した。754年、イタリアに遠征しランゴバルド王アイス...
ヨーロッパ史

中世ヨーロッパの異教的な信仰・風習・迷信のまとめ

中世ヨーロッパでは七世紀末頃からカロリング朝フランク王国の支援を背景としてゲルマン人へのキリスト教布教が進んだが、改宗してもキリスト教化は徹底されず、多神教や自然崇拝による異教的伝統文化も色濃く残ることとなった。 その異教的な伝統がど...
ヨーロッパ史

中世ヨーロッパの異教伝承「マゴニアの空飛ぶ船と嵐を起こす者」

「マゴニアの空飛ぶ船と嵐を起こす者vs守護者」 中世ヨーロッパの庶民の間で信じられていた異教的な言い伝えに「嵐を起こす者」がある。 九世紀前半、フランス東南部リヨンの大司教アゴバルドゥス(769年生、在任816~840年)(...
ヨーロッパ史

中世ヨーロッパの「十分の一税」とは何か

十分の一税は中世ヨーロッパで教会の維持や聖職者の生計のために各教区の農民から生産物の十分の一を徴収した貢租のこと。 十分の一税の起源 十分の一税の起源は聖書の記述にあるイスラエル人の慣習に遡る。 『彼はアブラム...
ヨーロッパ史

カール・マルテルと見直される「トゥール・ポワティエ間の戦い」の意義

カール・マルテル(独:Karl Martell,英・仏:Charles Martel ,689年生~741年没)は父・ピピン2世(中ピピン)の死後フランク王国のアウストラシア、ネウストリア、ブルグント分王国の宮宰を兼ね、弱体化したメロヴィン...
ブリテン諸島史

ブリテン諸島へのキリスト教布教の歴史まとめ

ブリテン諸島へ最初にキリスト教が伝播したのがいつごろかはよくわからない。中世以降に広まった伝承としては、西暦63年、キリストの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフがグラストンベリに教会堂を創始したことに始まるとする物語や、166年、ブリタニア...
フランス史

ノルマンディー公国の歴史(911~1204年)

ノルマンディー公国の成立 ノルマン人の北フランス襲来は840年頃から始まり、北海にそそぐ主要河川の河口から内陸へと侵攻、856年から、パリ、シャルトル、エヴルーその他有力諸都市が次々と襲撃・...
ヨーロッパ史

中世ヨーロッパの封建儀礼「臣従礼(オマージュ)」とは何か

中世ヨーロッパでは封建的主従関係を結ぶ際に「臣従礼(オマージュ” hommage, homage ”)」という儀礼が行われた。 『臣従礼とは中世西欧において封建的な主君と家臣の関係を正式に設定し、このことを可視的に公示する儀礼である。それ...
ブリテン諸島史

アルバ王国の成立とスコットランド王国の形成(9~11世紀)

ピクト人とスコット人 カレドニア地方(スコットランド)の先住民ピクト人の出自は謎に包まれている。ケルト系の言語を使い、巨石文化を持ち、エディンバラの北、フォース湾一帯に定住した。精強さで知られ、ブリテン島に進出したローマ帝国は彼らピクト人...
ブリテン諸島史

「ワット・タイラーの乱(1381年)」は何故起こったのか?

「ワット・タイラーの乱」は1381年6月、イングランド王国で人頭税導入に反対してワット・タイラー、ジョン・ポールらに率いられた農民たちが蜂起した事件。 百年戦争下の財政危機 1337年、イングランド王のフランス側領地アキテーヌ公領の臣従...
ブリテン諸島史

ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史

ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルの...
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました