フランス史

スポンサーリンク
フランス史

「パリ条約(1259)」百年戦争の遠因となった英仏和平条約

「パリ条約” Treaty of Paris”」は1259年12月4日にフランス王ルイ9世とイングランド王ヘンリ3世との間で結ばれた条約。フランス・カペー王家に対しイングランド・プランタジネット(アンジュー)王家が臣従礼を捧げることで、ヘン...
フランス史

アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯

アンヌ・ド・ブルゴーニュ(フランス語” Anne de Bourgogne ”,英語” Anne of Burgundy ”(アン・オブ・バーガンディ),1404年9月生-1432年11月14日没(注1))はベッドフォード公ジョン・オブ・ラ...
フランス史

ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)~要害堅固な獅子心王の城の攻防

「ガイヤール城(” Château-Gaillard ” , シャトー=ガイヤール)」はフランスのノルマンディー地域圏ウール県レザンドリー(” Les Andelys”)にある城塞。イングランド王リチャード1世によって1196年から98年に...
スポンサーリンク
フランス史

ジゾール城” Château de Gisors”~テンプル騎士団隠し財宝伝説の城

「ジゾール城” Château de Gisors”」はノルマンディー地域圏ウール県にあるアングロ=ノルマン王国時代に築かれた城塞。1097年、イングランド王ウィリアム2世の命で築城された。1193年、フランス王フィリップ2世に占領されて以...
フランス史

クーシー城” Château de Coucy ”~失われた中世欧州最大級の円形大城塔

「クーシー城(” Château de Coucy ”)」はフランス・ピカルディ地方オー=ド=フランス地域圏エーヌ県にある中世城塞の遺構。ヨーロッパ最大規模の城塔で知られたが、第一次大戦中の1917年3月27日、ドイツ軍によって破壊された。...
フランス史

ニヴェルネ遠征~ジャンヌ・ダルク初敗北とペリネ・グレサールの下剋上

1429年秋、パリ包囲戦が終わり、イングランド、ブルゴーニュと休戦が成立すると、シャルル7世は、首府ブールジュの東、ロワール川の対岸ニヴェルネ地方を実効支配するイングランド=ブルゴーニュ派の武将ペリネ・グレサールの討伐をジャンヌ・ダルクらに...
フランス史

1429年夏の英仏ブルゴーニュ外交とジャンヌ・ダルクの「パリ包囲戦」

オルレアン包囲の失敗に続くパテーの戦い(1429年6月18日)でイングランド軍主力が壊滅した結果、イル・ド・フランスからシャンパーニュにかけてのロワール川以北地域に軍事的空白が生じたことで、フランス軍は「ランス進軍」(1429年6月29日~...
フランス史

ジャンヌ・ダルクは何色が好きだったか?

ジャンヌ・ダルクについて資料を読んでいると、彼女はよく赤い服を着ていて、赤が好きだったのではないかと思う。この記事ではまず中世ヨーロッパの服飾史や中世盛期から後期にかけて人気となった赤色染料の歴史を概観しつつ、ジャンヌ・ダルクが好んだ赤い服...
フランス史

ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン~ブルボン王家直系の祖

ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン(” Louis I de Bourbon-Vendôme”,1376年生-1446年12月21日没)はブルボン家の傍流ブルボン=ヴァンドーム家初代。アジャンクールの戦いでは左翼軍の指揮を執った。「フラン...
フランス史

ジャン・ド・メス(ヌイヨンポン)~ジャンヌ・ダルクを護る騎士

ジャン・ド・メスまたはジャン・ド・ヌイヨンポン(” Jean de Metz, Jean de Novelompont”,1398年生-?)はドンレミ村を出たジャンヌ・ダルクがヴォークルールからシノン城へと赴く際に護衛したヴォークルール城主...
フランス史

聴罪司祭ジャン・パスクレル~ジャンヌ・ダルクの良き相談役

ジャン・パスクレル("Jean Pasquerel”,生没年不明)はジャンヌ・ダルクに同行した聴罪司祭。バイユーの聖アウグスチノ修道会派に属する。1429年4月から1430年5月24日、コンピエーニュでジャンヌ・ダルクが捕らえられるまで彼女...
フランス史

ルイ・ド・クート~ジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした少年兵

ルイ・ド・クート("Louis de Coutes”1414年生-1483頃没)はジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした従卒。父はヌーヴィオン("Nouvion")とリューゲル("Rugles")の領主ジャン・ド・クート、母はカトリーヌ・ル...
フランス史

ジャン・ドーロン~ジャンヌ・ダルクの活躍を支えた名副官

ジャン・ドーロン(” Jean d'Aulon”,1390年生-1458年8月から9月頃没)は、百年戦争後期フランスの軍人。副官としてジャンヌ・ダルクを支え、オルレアン包囲戦からコンピエーニュの戦いまで最も長く側にいた代表的な戦友である。1...
フランス史

「ランス進軍」と「シャルル7世戴冠式」――ジャンヌ・ダルクの快進撃

「ランス進軍(フランス語:” Chevauchée vers Reims”,英語:” March to Reims”,中国語:” 進軍蘭斯”)」(注1)は、オルレアン包囲戦に続くパテーの戦いの勝利によってイングランド軍主力が壊滅した結果、シ...
フランス史

ジャンヌ・ダルクの主な戦友30人まとめ

まえがき ジャンヌ・ダルクの戦友というと、認知度の高さはほぼジル・ド・レに限られ、少し詳しい人でラ・イル、ジャン・ド・デュノワ、アランソン公ジャン2世、リッシュモン大元帥などが挙げられる程度だと思うのだが、ジャンヌ・ダルクほどの著名な人物...
フランス史

ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡

ジル・ド・レ――フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友にして数々の軍功を重ねた百年戦争の英雄、フランス王よりも富裕とまでいわれたフランス屈指の大貴族・・・しかして、その栄光の陰で快楽の赴くままに百数十名にも上る子供たちの大量殺戮を行ったと...
フランス史

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ~傭兵隊長から元帥へ上った百年戦争の勇将

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(” Jean Poton de Xaintrailles”,1390年頃生~1461年10月7日没)は百年戦争後期フランスの傭兵隊長。ジャンヌ・ダルクの親しい戦友の一人。同郷の傭兵隊長ラ・イルことエティエン...
フランス史

オルレアン解放後のイングランド軍追撃戦「ロワール作戦」と「パテーの戦い」

「ロワール作戦」 1429年5月8日、イングランド軍はオルレアン市の包囲を解き退却した。オルレアン包囲戦はフランスの勝利に終わったが、イングランド軍は主力を温存したまま退いたに過ぎない。5月11日、国王シャルル7世が待つロッシュでオルレア...
フランス史

オルレアン包囲戦~勃発の背景からジャンヌ・ダルクの登場、終結まで

前史 フランス王シャルル6世が発狂して統治能力を失って以降、対立していたブルゴーニュ派とアルマニャック派はイングランド王ヘンリ5世に同盟を求め、両者の対立を好機としたヘンリ5世は1415年フランスに侵攻、アジャンクールの戦いでフランス軍を...
フランス史

百年戦争「アルマニャック派」とは何か、成立から消滅まで

アルマニャック派(” Armagnacs”)は1410年、台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太...
フランス史

百年戦争「トロワ条約(1420年5月21日)」の内容と問題点、影響について

前史 フランス王シャルル6世が狂気に陥り統治能力を喪失した後に主導権を握ったブルゴーニュ公ジャン無怖公と反ブルゴーニュ派諸侯からなるアルマニャック派との内乱に乗じてフランスに侵攻したイングランド王ヘンリ5世は1415年10月25日、ア...
フランス史

ジャンヌ・ダルク活動・関連事項全年表

1412~1428年   年代 事項 1412年1月6日 ジャンヌ・ダルク誕生 1415年10月25日 アジャンクールの戦い(フランス軍壊滅) 1419年9月10日 ブルゴーニュ公ジ...
フランス史

「ジャンヌ・ダルクの旗」のデザインや逸話、役割のまとめ

ジャンヌ・ダルクのイメージとして欠かせないのが常に掲げていた軍旗ではないだろうか。彼女は処刑裁判の供述でも『剣よりも旗の方が四〇倍も好きだった』(注1)と語っており、非常に気に入っていたものだ。 ジャンヌ・ダルクの旗の製作と特徴 シノン...
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました