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世界史

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ブリテン諸島史

マーリンの双子の姉妹ガニエダ(グウェンジーズ)の伝承と逸話

ガニエダ(”Ganieda”ウェールズ語”Gwenddydd”グウェンジーズ、注1)はウェールズの伝承「マルジンとグウェンジーズの対話」(1100年以前成立)やジェフリー・オブ・モンマス著「メルリヌス伝(マーリンの生涯)」に登場する魔術師・...
ブリテン諸島史

ウェールズ伝説の詩人タリエシンについて

タリエシン"Taliesin"は六世紀頃、イングランド北部ノーサンブリア地方に実在した詩人(バルド)。後にウェールズ地方で彼に関する様々な伝承がつくられた。伝承の中では数百年の時を越えて様々な時代・世界に登場し、長く生き続けて転生を繰り返し...
ブリテン諸島史

獅子心王リチャード1世の剣の名前は「エクスカリバー」だったのか?

獅子心王ことイングランド王リチャード1世(在位1189~1199)が自身の剣に伝説のアーサー王の愛剣と同じエクスカリバー” Excalibur ”と名付けていたという説が広く知られている(注1)。本当だろうか?結論から言うとリチャードが持っ...
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フランス史

獅子心王リチャード1世の庶子フィリップ・ド・コニャックについて

フィリップ・ド・コニャック(フランス語” Philippe de Cognac”,英語” Philip of Cognac”)はイングランド王リチャード1世の庶子。後にフィリップ・ザ・バスタード” Philip the Bastard”の名...
ブリテン諸島史

騎士の中の騎士ウィリアム・マーシャルの生涯

初代ペンブルック伯ウィリアム・マーシャル(英語” William Marshal, 1st Earl of Pembroke”,フランス語” Guillaume le Maréchal”ギヨーム・ル・マレシャル)は十二世紀半ばから十三世紀初...
ヨーロッパ史

『黒死病” Black Death”』という語の由来についてまとめ

1347年から1353年にかけて、世界中に拡大し、特にヨーロッパで多大な犠牲者を出したペストは一般的に「黒死病” Black Death”」の名で呼ばれるが、この名は同時代には使われた形跡はなく、近世以降に登場して、十九世紀に一般的に使われ...
ヨーロッパ史

黒死病(ペスト)流行下(1348~53年)におけるユダヤ人迫害のまとめ

「黒死病(英語”Black Death”)」と呼ばれる1347年から1353年にかけての世界的なペスト流行の渦中、ヨーロッパでは各地で暴力や虐殺を含むユダヤ教徒(ユダヤ人)への激しい迫害が展開した。 中世ヨーロッパにおけるユダヤ人 ...
フランス史

ジャンヌ・ダルク火刑時の「焼けなかった心臓」の逸話を史料から考える

ジャンヌ・ダルクの心臓が火刑後も焼けずに残ったというエピソードがまことしやかに語られ、聖女ジャンヌの奇跡として取り上げられることも多いようだ。 ジャンヌ・ダルク復権裁判での証言 このエピソードの出典はジャンヌ・ダルク復権裁判...
ブリテン諸島史

ギヨーム・ド・ロンシャン~専横政治を敷いて失脚した獅子心王の寵臣

イーリー司教ギヨーム・ド・ロンシャン(” Guillaume de Longchamp”生年不明~1197年1月31日没(注1))はイングランド王リチャード1世の寵臣。宰相にあたる行政長官と国璽を管理する尚書部長官(大法官)、さらに教皇特使...
ブリテン諸島史

ラヌルフ・ド・グランヴィル~コモン・ロー誕生に貢献した法律家の宰相

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190(注1))はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で宰相にあたる行政長官” Chief Justiciar”を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成...
ヨーロッパ史

聖女マルタ伝説~聖書と聖人信仰のまとめ

マルタは新約聖書に登場し、イエスの友人ラザロとマリアの姉妹で、エルサレム近郊の町ベタニアに住む。アラム語でマルタ” מַרְתָּא Martâ”(注1)は「婦人」「女主人」を意味する(注2)。後にキリスト教の守護聖人として各地で信仰を集め...
ブリテン諸島史

リチャード・ド・ルーシー~アンジュー帝国を支えた老宰相

リチャード・ド・ルーシー("Richard de Lucy”または” Richard de Luci”,1089頃/1098頃-1179年7月14日(注1))は中世イングランドの政治家。ヘンリ1世、スティーヴン王、ヘンリ2世三代のイングラン...
ブリテン諸島史

ロジャー・オブ・ソールズベリー~中世イングランドの行政機構を築いた初代宰相

ロジャー・オブ・ソールズベリー(" Roger of Salisbury”,?-1139)はヘンリ1世(在位1100-1135)によって新設された国政を統括する行政長官(”Chief Justiciar” 在任1101-1139)に抜擢され...
ブリテン諸島史

ヘンリ若王~獅子心王と欠地王の人望ある長兄の惜しまれる早逝

ヘンリ若王(または「若ヘンリ」とも"Henry the Young King”,1155年2月28日生-1183年6月11日没)はイングランド王ヘンリ2世(在位1154年12月19日-1189年7月6日)と王妃アリエノール・ダキテーヌ(エレ...
ブリテン諸島史

ヒューバート・ド・バーグ~イングランドの危機を救った知勇兼備のジョン王の忠臣

初代ケント伯ヒューバート・ド・バーグ(またはバラ、バークとも” Hubert de Burgh, 1st Earl of Kent” , 1170頃生-1243年5月5日以前没)は、ジョン王、ヘンリ3世に仕えたイングランドの軍人・政治家。対...
ヨーロッパ史

「ビーファハウツフェルツの戦い(1382年)」欧州火薬兵器戦史上の画期

「ビーファハウツフェルツの戦い(オランダ語” Slag op het Beverhoutsveld ”,英語” Battle of Beverhoutsveld ”(ベヴェルフーツヴェルドの戦い))」(注1)は1382年5月3日、フィリップ...
フランス史

「パリ条約(1259)」百年戦争の遠因となった英仏和平条約

「パリ条約” Treaty of Paris”」は1259年12月4日にフランス王ルイ9世とイングランド王ヘンリ3世との間で結ばれた条約。フランス・カペー王家に対しイングランド・プランタジネット(アンジュー)王家が臣従礼を捧げることで、ヘン...
ヨーロッパ史

英仏百年戦争全年表

百年戦争前史年表  百年戦争まで 西暦 できごと  1066  12/25イングランド王ウィリアム1世即位(ノルマン・コンクエスト)  1128  6/17イングランド王ヘンリ1世の娘マティルダ...
フランス史

アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯

アンヌ・ド・ブルゴーニュ(フランス語” Anne de Bourgogne ”,英語” Anne of Burgundy ”(アン・オブ・バーガンディ),1404年9月生-1432年11月14日没(注1))はベッドフォード公ジョン・オブ・ラ...
ブリテン諸島史

第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ~イングランドの名将の不慮の死

第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ(" Thomas Montagu, 4th Earl of Salisbury ” またはモンタギュー” Montague”,モンタキュート” Montacute”とも表記される,1388年6月13...
ブリテン諸島史

ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター~百年戦争後期イングランドの総帥

初代ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター(” John of Lancaster, 1st Duke of Bedford”, 1389年6月20日生~1435年9月14日没)はイングランド王ヘンリ4世の第三王子で、兄王ヘンリ5世死後...
ヨーロッパ史

中世ヨーロッパの築城形式「モット・アンド・ベイリー式城塞」のまとめ

「モット・アンド・ベイリー式城塞(英語” Motte-and-bailey castle”,フランス語” Motte castrale”」は十世紀から十三世紀にかけて北フランスからブリテン島、さらにヨーロッパ各地に広まった築城形式。土・木製...
フランス史

ニヴェルネ遠征~ジャンヌ・ダルク初敗北とペリネ・グレサールの下剋上

1429年秋、パリ包囲戦が終わり、イングランド、ブルゴーニュと休戦が成立すると、シャルル7世は、首府ブールジュの東、ロワール川の対岸ニヴェルネ地方を実効支配するイングランド=ブルゴーニュ派の武将ペリネ・グレサールの討伐をジャンヌ・ダルクらに...
フランス史

1429年夏の英仏ブルゴーニュ外交とジャンヌ・ダルクの「パリ包囲戦」

オルレアン包囲の失敗に続くパテーの戦い(1429年6月18日)でイングランド軍主力が壊滅した結果、イル・ド・フランスからシャンパーニュにかけてのロワール川以北地域に軍事的空白が生じたことで、フランス軍は「ランス進軍」(1429年6月29日~...
フランス史

ジャンヌ・ダルクは何色が好きだったか?

ジャンヌ・ダルクについて資料を読んでいると、彼女はよく赤い服を着ていて、赤が好きだったのではないかと思う。この記事ではまず中世ヨーロッパの服飾史や中世盛期から後期にかけて人気となった赤色染料の歴史を概観しつつ、ジャンヌ・ダルクが好んだ赤い服...
フランス史

ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン~ブルボン王家直系の祖

ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン(” Louis I de Bourbon-Vendôme”,1376年生-1446年12月21日没)はブルボン家の傍流ブルボン=ヴァンドーム家初代。アジャンクールの戦いでは左翼軍の指揮を執った。「フラン...
フランス史

ジャン・ド・メス(ヌイヨンポン)~ジャンヌ・ダルクを護る騎士

ジャン・ド・メスまたはジャン・ド・ヌイヨンポン(” Jean de Metz, Jean de Novelompont”,1398年生-?)はドンレミ村を出たジャンヌ・ダルクがヴォークルールからシノン城へと赴く際に護衛したヴォークルール城主...
フランス史

聴罪司祭ジャン・パスクレル~ジャンヌ・ダルクの良き相談役

ジャン・パスクレル("Jean Pasquerel”,生没年不明)はジャンヌ・ダルクに同行した聴罪司祭。バイユーの聖アウグスチノ修道会派に属する。1429年4月から1430年5月24日、コンピエーニュでジャンヌ・ダルクが捕らえられるまで彼女...
フランス史

ルイ・ド・クート~ジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした少年兵

ルイ・ド・クート("Louis de Coutes”1414年生-1483頃没)はジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした従卒。父はヌーヴィオン("Nouvion")とリューゲル("Rugles")の領主ジャン・ド・クート、母はカトリーヌ・ル...
フランス史

ジャン・ドーロン~ジャンヌ・ダルクの活躍を支えた名副官

ジャン・ドーロン(” Jean d'Aulon”,1390年生-1458年8月から9月頃没)は、百年戦争後期フランスの軍人。副官としてジャンヌ・ダルクを支え、オルレアン包囲戦からコンピエーニュの戦いまで最も長く側にいた代表的な戦友である。1...
フランス史

「ランス進軍」と「シャルル7世戴冠式」――ジャンヌ・ダルクの快進撃

「ランス進軍(フランス語:” Chevauchée vers Reims”,英語:” March to Reims”,中国語:” 進軍蘭斯”)」(注1)は、オルレアン包囲戦に続くパテーの戦いの勝利によってイングランド軍主力が壊滅した結果、シ...
フランス史

ジャンヌ・ダルクの主な戦友30人まとめ

まえがき ジャンヌ・ダルクの戦友というと、認知度の高さはほぼジル・ド・レに限られ、少し詳しい人でラ・イル、ジャン・ド・デュノワ、アランソン公ジャン2世、リッシュモン大元帥などが挙げられる程度だと思うのだが、ジャンヌ・ダルクほどの著名な人物...
フランス史

ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡

ジル・ド・レ――フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友にして数々の軍功を重ねた百年戦争の英雄、フランス王よりも富裕とまでいわれたフランス屈指の大貴族・・・しかして、その栄光の陰で快楽の赴くままに百数十名にも上る子供たちの大量殺戮を行ったと...
フランス史

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ~傭兵隊長から元帥へ上った百年戦争の勇将

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(” Jean Poton de Xaintrailles”,1390年頃生~1461年10月7日没)は百年戦争後期フランスの傭兵隊長。ジャンヌ・ダルクの親しい戦友の一人。同郷の傭兵隊長ラ・イルことエティエン...
フランス史

オルレアン解放後のイングランド軍追撃戦「ロワール作戦」と「パテーの戦い」

「ロワール作戦」 1429年5月8日、イングランド軍はオルレアン市の包囲を解き退却した。オルレアン包囲戦はフランスの勝利に終わったが、イングランド軍は主力を温存したまま退いたに過ぎない。5月11日、国王シャルル7世が待つロッシュでオルレア...
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