ブリテン諸島史ペントレ・イヴァン(Pentre Ifan)――ウェールズ先史時代の巨石建造物 「ペントレ・イヴァン(Pentre Ifan)」は英国ウェールズ地方ペンブルックシャー州にある紀元前3500年頃の支石墓(ドルメン)遺跡である。ペントレ・イヴァンはウェールズ語で「イヴァン(ジョン)の村」を意味(注1)し、近郊にある同名の村... 2021.03.04ブリテン諸島史
ブリテン諸島史「パヴィランドの赤い貴婦人(The Red Lady of Paviland)」 「パヴィランドの赤い貴婦人(The Red Lady of Paviland)」は英国ウェールズ地方南部ガワー半島のパヴィランド洞窟で発見された3万3000年前の男性の骨。骨を覆っていた赤土(注1)によって赤く染まっており、発見当時は女性と... 2021.02.23ブリテン諸島史
ブリテン諸島史獅子心王リチャード1世の剣の名前は「エクスカリバー」だったのか? 獅子心王ことイングランド王リチャード1世(在位1189~1199)が自身の剣に伝説のアーサー王の愛剣と同じエクスカリバー” Excalibur ”と名付けていたという説が広く知られている(注1)。本当だろうか?結論から言うとリチャードが持っ... 2020.05.09ブリテン諸島史
ブリテン諸島史騎士の中の騎士ウィリアム・マーシャルの生涯 初代ペンブルック伯ウィリアム・マーシャル(英語” William Marshal, 1st Earl of Pembroke”,フランス語” Guillaume le Maréchal”ギヨーム・ル・マレシャル)は十二世紀半ばから十三世紀初... 2020.04.30ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ギヨーム・ド・ロンシャン~専横政治を敷いて失脚した獅子心王の寵臣 イーリー司教ギヨーム・ド・ロンシャン(” Guillaume de Longchamp”生年不明~1197年1月31日没(注1))はイングランド王リチャード1世の寵臣。宰相にあたる行政長官と国璽を管理する尚書部長官(大法官)、さらに教皇特使... 2020.03.03ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ラヌルフ・ド・グランヴィル~コモン・ロー誕生に貢献した法律家の宰相 ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190(注1))はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で宰相にあたる行政長官” Chief Justiciar”を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成... 2020.02.24ブリテン諸島史
ブリテン諸島史リチャード・ド・ルーシー~アンジュー帝国を支えた老宰相 リチャード・ド・ルーシー("Richard de Lucy”または” Richard de Luci”,1089頃/1098頃-1179年7月14日(注1))は中世イングランドの政治家。ヘンリ1世、スティーヴン王、ヘンリ2世三代のイングラン... 2020.01.31ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ロジャー・オブ・ソールズベリー~中世イングランドの行政機構を築いた初代宰相 ロジャー・オブ・ソールズベリー(" Roger of Salisbury”,?-1139)はヘンリ1世(在位1100-1135)によって新設された国政を統括する行政長官(”Chief Justiciar” 在任1101-1139)に抜擢され... 2020.01.28ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ヘンリ若王~獅子心王と欠地王の人望ある長兄の惜しまれる早逝 ヘンリ若王(または「若ヘンリ」とも"Henry the Young King”,1155年2月28日生-1183年6月11日没)はイングランド王ヘンリ2世(在位1154年12月19日-1189年7月6日)と王妃アリエノール・ダキテーヌ(エレ... 2020.01.14ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ヒューバート・ド・バーグ~イングランドの危機を救った知勇兼備のジョン王の忠臣 初代ケント伯ヒューバート・ド・バーグ(またはバラ、バークとも” Hubert de Burgh, 1st Earl of Kent” , 1170頃生-1243年5月5日以前没)は、ジョン王、ヘンリ3世に仕えたイングランドの軍人・政治家。対... 2020.01.08ブリテン諸島史
ブリテン諸島史第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ~イングランドの名将の不慮の死 第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ(" Thomas Montagu, 4th Earl of Salisbury ” またはモンタギュー” Montague”,モンタキュート” Montacute”とも表記される,1388年6月13... 2019.12.22ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター~百年戦争後期イングランドの総帥 初代ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター(” John of Lancaster, 1st Duke of Bedford”, 1389年6月20日生~1435年9月14日没)はイングランド王ヘンリ4世の第三王子で、兄王ヘンリ5世死後... 2019.12.21ブリテン諸島史
ブリテン諸島史英国史上屈指の名君アルフレッド大王(在位871~899年)の生涯 「アルフレッド大王( ” Alfred The Great ” 古英語 “Ælfrēd ”)」はウェセックス王エゼルウルフと王妃オズブルフの第四男として849年に生まれた。いずれも短命の在位となった三人の兄に続いて871年4月23日、ウェセ... 2019.06.19ブリテン諸島史
ブリテン諸島史マスター・ジェイムズ~中世ヨーロッパ屈指の築城の名手 「築城の名手」で思い浮かぶ人物というと誰だろう?藤堂高虎?加藤清正?それとも黒田官兵衛や太田道灌?日本の城だとそうだろうが、中世ヨーロッパにも築城の名手がいた。セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Sa... 2019.06.04ブリテン諸島史
ブリテン諸島史アイルランドの国宝『ケルズの書』とは何か アイルランドの国宝、八~九世紀に作成された装飾写本の傑作『ケルズの書("The Book of Kells")』がデジタル化され、収蔵されているアイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館("The Library of Trini... 2019.05.29ブリテン諸島史
ブリテン諸島史アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡 七王国時代の開幕 ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢力争いをはじめた。この時代は有力な七つの王国――ケント(” Kent “)、エセックス(” E... 2019.05.27ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ブリテン諸島へのキリスト教布教の歴史まとめ ブリテン諸島へ最初にキリスト教が伝播したのがいつごろかはよくわからない。中世以降に広まった伝承としては、西暦63年、キリストの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフがグラストンベリに教会堂を創始したことに始まるとする物語や、166年、ブリタニア... 2019.05.10ブリテン諸島史
ブリテン諸島史アルバ王国の成立とスコットランド王国の形成(9~11世紀) ピクト人とスコット人 カレドニア地方(スコットランド)の先住民ピクト人の出自は謎に包まれている。ケルト系の言語を使い、巨石文化を持ち、エディンバラの北、フォース湾一帯に定住した。精強さで知られ、ブリテン島に進出したローマ帝国は彼らピクト人... 2019.05.06ブリテン諸島史
ブリテン諸島史「ワット・タイラーの乱(1381年)」は何故起こったのか? 「ワット・タイラーの乱」は1381年6月、イングランド王国で人頭税導入に反対してワット・タイラー、ジョン・ボールらに率いられた農民たちが蜂起した事件。 百年戦争下の財政危機 1337年、イングランド王のフランス側領地アキテーヌ公領の臣従... 2019.05.06ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史 ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルの... 2019.05.04ブリテン諸島史
ブリテン諸島史アングロ・サクソン系最後のイングランド王ハロルド2世 ハロルド2世(” Harold II ” 1022年?生~1066年10月14日没)は最後のアングロ・サクソン系イングランド王(在位1066年1月5日~10月14日)。ハロルド・ゴドウィンソン。クヌート大王の北海帝国時代から前王エドワード証... 2019.03.19ブリテン諸島史
ブリテン諸島史エドワード証聖王の時代~アングロ・サクソン王権の再興と終焉 エドワード証聖王(” Edward the Confessor “、1003年頃生~1066年没)はウェセックス朝イングランド王(在位1042年6月8日~1066年1月5日)。父はイングランド王エセルレッド2世、母はノルマンディー公リシャー... 2019.03.16ブリテン諸島史
ブリテン諸島史御猟林法/御猟林憲章~中世イングランドの森林を巡る対立 ” Forest Law “” Charter of the Forest ”のForestの訳語としては御料林と御猟林があり論文や研究書でも記述が分かれるが、この記事では特に狩猟場としての役割を鑑み、また日本の明治憲法下の皇室財産を指す御... 2019.02.17ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ヘンリ5世~イングランド王歴代最高の名将の栄光と早すぎた死 幼少期のヘンリ5世 ヘンリ5世はウェールズ南東モンマス(Monmouth)で父ヘンリ・ボリングブロク(ヘンリ4世)、母ヘレフォード伯ハンフリーの娘メアリー・ドゥ・ブーンの間に生まれた。誕生地からヘンリ・オブ・モンマスと呼ばれる。生年月日に... 2019.02.16ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ヘンリ4世の簒奪~ランカスター朝の幕開けと内乱 プランタジネット朝からランカスター朝へ 百年戦争で勇名を馳せたイングランド王エドワード3世だが、1370年代になると征服地のことごとくを名将ベルトラン・デュ・ゲクラン率いるフランス王軍によって奪還され、愛妾アリス・ペラーズに溺れて政治に興... 2019.02.14ブリテン諸島史
ブリテン諸島史「アングロ・サクソン年代記」の概要、成立の歴史、主な内容まとめ 「アングロ・サクソン年代記" Anglo-Saxon Chronicle "」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴... 2019.02.13ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ウェセックス王エグバート(在位802~839年)~イングランド王家の祖 七王国時代とマーシア王国の台頭 六世紀ごろからブリテン島に侵攻したアングロ=サクソン諸族はブリトン人との激しい戦いを経て支配的となり、六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢... 2019.02.09ブリテン諸島史
ブリテン諸島史イングランド王ヘンリ2世と武威の王権『アンジュー帝国』 誕生から即位まで 1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世がブリテン島へ侵攻しイングランド王ウィリアム1世として即位したことで、イギリス海峡をまたぐノルマンディー公領とイングランド王領からなる海峡国家アングロ=ノルマン王国が誕生した。三代... 2019.02.03ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ノルマン朝(アングロ=ノルマン王国、1066~1154)の歴史まとめ ノルマン朝は、1066年、フランス北東部ノルマンディ地方の領主ノルマンディー公ギヨーム2世がエドワード証聖王死後のイングランド王位を巡ってブリテン島に侵攻、ヘースティングズの戦いでハロルド2世を破りイングランド王ウィリアム1世として即位した... 2018.10.07ブリテン諸島史
ブリテン諸島史スティーヴン王~内乱を招いたノルマン朝最後のイングランド王 スティーヴン王はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)四代目のイングランド王、ノルマンディー公。ヘンリ1世の死後、後継者と目されていたヘンリ1世娘マティルダを退けてイングランド王位に就くが、内乱を招きイングランドを混乱させた。彼の... 2018.10.05ブリテン諸島史
ブリテン諸島史ヘンリ1世碩学王~イングランドの統治体制を築いた隠れた名君 ヘンリ1世はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)三代目のイングランド王。ノルマンディー公。ウィリアム1世の末子。前王ウィリアム2世の死後、ノルマンディー公ロベールの不在を突いてイングランド王に即位。ノルマンディー公ロベールの反乱... 2018.10.05ブリテン諸島史
ブリテン諸島史征服王の後継者ウィリアム2世ルーファス(赤顔王) ウィリアム2世はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)2代目のイングランド王。ウィリアム1世の第2王子。兄にノルマンディー公ロベール、弟にヘンリ1世がいる。ウィリアム1世の跡をついでイングランド征服を推し進めた。教皇との聖職叙任権... 2018.10.02ブリテン諸島史
ブリテン諸島史征服王ウィリアム1世と「ノルマン人の征服(ノルマン・コンクエスト)」 ウィリアム1世(生没年1028-1087年9月9日、ノルマンディー公在位1035-87、イングランド王在位1066-87)はノルマン朝初代のイングランド王。1035年、北フランスの有力諸侯ノルマンディー公を継承、1066年「ヘースティングズ... 2018.08.24ブリテン諸島史
ブリテン諸島史「ヘースティングズの戦い(Battle of Hastings)」(1066年10月14日) 決戦への道 1066年、エドワード証聖王の死後、戦上手で知られる有力貴族ハロルド・ゴドウィンソンがイングランド王ハロルド2世に即位すると、これに異を唱えてノルウェー王ハーラル・ハルドラーダとノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム1世)が... 2018.08.18ブリテン諸島史
ブリテン諸島史「バイユーのタペストリー」とは何か 「バイユーのタペストリー」とは 「バイユーのタペストリー(英語 “Bayeux Tapestry”,仏語 “Tapisserie de Bayeux” 」は1066年10月14日、ノルマンディー公 ギヨーム2世(のちのイングランド王ウィリ... 2018.08.16ブリテン諸島史