「ダロウの書」

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「ダロウの書(Book of Durrow)」は七世紀後半に作成された装飾写本で、十六世紀までアイルランドのダロウ修道院に保存されていたことからこの名で呼ばれている。インシュラー体で書かれた福音書の装飾写本の中では現存する最古のものと考えられ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書から構成されている。トリニティ・カレッジ・ダブリン収蔵。

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歴史

島嶼芸術(Insular Art)の誕生

装飾写本の先駆となるのが七世紀頃からアイルランドとノーサンブリア王国の修道院で制作された写本群である。アイルランドでは六世紀から七世紀にかけて写本に文字の縁取りなど装飾が施されるようになり、七世紀後半から特徴的な組紐模様が登場、動物的な形態や抽象的な要素が取り入れられ、渦巻模様と組み合わされて洗練されていった。このような組紐模様、動物的形態、渦巻模様などはラ・テーヌ期の工芸品などにも共通することから、十九世紀以降古代ケルト人の文化と結びつけられ『晩期ケルト美術』と呼ばれるようになったが、近年では、これらのブリテン諸島で発展した美術様式をヨーロッパ大陸の古代ケルト文化に遡ることは否定される傾向が強い(1原聖(2016)『興亡の世界史 ケルトの水脈』講談社、講談社学術文庫212頁)。

アングロ・サクソン系の文書にも同様の装飾が見られ、七王国時代、七世紀前~中期のイースト・アングリア王国のサットン・フーの舟葬墓から出土した金製のバックルは組紐や動物をモチーフとしたデザインで『ダロウの書』との類似が指摘される(2原聖(2016)214頁)。フランソワ・マセは1947年の著書で『その美術様式はアイルランド文化と言うよりむしろアングロ=サクソンのそれに影響すると考えた』(3ミーハン、バーナード.(2002)『ケルズの書』創元社93頁)。七世紀前半、アイルランド人修道士が多くノーサンブリア王国にわたり、アングロ・サクソン文化とアイルランド文化が交流、アングロ・サクソン系の動物形態や組紐模様などを取り入れたと考えられている(4ミーハン(2002)9-10頁、91頁/”Book of Kells“,The Library of Trinity College Dublin,Trinity College Dublin.)。

このような紀元600年から900年までのブリテン諸島とアイルランドで発展した装飾写本を始めとする芸術作品を総称して島嶼芸術(Insular Art)と呼ぶことが多いが、定義については議論がある(5Karkov,Catherine E.(2015).Insular Art – Medieval Studies – . Oxford Bibliographies.)。また、このような、アイルランド(ヒベルニア)文化とアングロ・サクソン文化の交流で生まれた美術様式を『ヒベルノ・サクソン様式(Hiberno-Saxon style)』と呼ぶこともある(6鶴岡 真弓/松村 一男 著『図説 ケルトの歴史: 文化・美術・神話をよむ (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社,2017年)ではハイバーノ・サクソン・スタイルと呼ぶが、ここでは「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」を出典とする「ヒベルノ・サクソン様式 コトバンク」の訳に準拠した。)。

「ダロウの書」の歴史

「ダロウの書」がいつどこで制作されたかは不明で様々な議論がある。650年から699年にかけての期間の間、680年頃と見るのが通説であるが、洗練された技法や特徴など写本の比較研究から八世紀後半頃とする反論もある。通説では現存する最古の装飾写本となるが、八世紀後半とする説に従うなら「ケルズの書」など多くの島嶼写本群の一つに位置づけられることになる。製作地についてもダロウ修道院のほかグレートブリテン島ノーサンブリア地方の修道院などで見解が分かれている(7木村正俊/松村賢一(2017)『ケルト文化事典』東京堂出版、197頁)。

写本中にダロウ修道院の創設者聖コルンバ(521年頃生-597年没)の手による写本から複写したものであることを示す記述があるが真偽不明で、この写本が収納されていた銀製の聖遺物箱(クーダフ、cumhdach8木村正俊/松村賢一(2017)198頁)にはアイルランド上王フラン・シンナ(Flann Sinna,在位877-915/916年)が聖遺物箱を製作してダロウ修道院に奉献したとあり、これが「ダロウの書」に関する最古の記録となっている。この記述から、どこで製作されたものかは不明だが、十世紀初めまでにはダロウ修道院に置かれていたとみられている。一方、「ティゲルナハ年代記(Annals of Tigernach)」には1090年、聖コルンバの聖遺物がドニゴールからケルズに戻ったと記録され、これには2つの福音書が含まれており、一つは「ケルズの書」とされているが、もう一つは「ダロウの書」ではないかという説がある(9ミーハン(2002)10-14頁)。

十六世紀、ダロウ修道院の解散にともない「ダロウの書」は一時個人所有となるが、1662 年頃、クロガー(Clogher)司教でトリニティ・カレッジの副学長であったヘンリー・ジョーンズ(1605 年頃生-1681年没)がこの本を同大学図書館に寄贈。1688年以降聖遺物箱が失われたが、修復され今日まで保管されている(10The Book of Durrow.Codex 99.)。

構成と特徴

「ダロウの書」は縦横245×145mmの大きさで没食子インクで書かれた仔牛の皮を使ったヴェラム紙248フォリオが残存しており、ウルガタ(11ヒエロニムスによる翻訳と伝わる四世紀後半頃のラテン語訳聖書)のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書と、それぞれの福音書の前に置かれたカーペット・ページから構成されている。ブリテン諸島・アイルランドでハーフ・アンシャル体から発展したインシュラー体と総称される書法(カリグラフィー)の一つインシュラー・ミニュスキュル体が用いられ(12ラヴェット、パトリシア 著/高宮利行 監修/安形麻理 翻訳(2022)『カリグラフィーのすべて 西洋装飾写本の伝統と美』グラフィック社、10頁/Work | Book of Durrow. IE TCD MS 57 . The Library of Trinity College Dublin ,Digital Collections.)、赤、黄、緑など様々な色で彩られている(13木村正俊/松村賢一(2017)197頁)。

カーペット・ページは島嶼芸術(Insular Art)の写本群に特徴的なページで、通常、福音書の冒頭に置かれ、鮮やかな色彩で装飾的なモチーフが描かれている。「ダロウの書」のカーペット・ページは全部で六枚あり多色使いの組紐・螺旋・トランペット・パターンなどの文様に覆われ、五枚の福音書記者の象徴図像の装飾ページとともに非キリスト教的なモチーフの影響を色濃く反映している。また、各福音書の本文ページ頭文字は動物を模した装飾文字で始まり、それぞれマタイは「人」、マルコは「獅子」、ルカは「牛」、ヨハネは「鷲」で始まっている(14「彩色写本にみるケルト文様――輝ける至高の美」(木村正俊(2018)『ケルトを知るための65章』明石書店、エリア・スタディーズ、257頁))。

「ダロウの書」125フォリオのカーペットページ

「ダロウの書」125フォリオのカーペットページ
Book of Durrow. IE TCD MS 57.fol.125v.
パブリックドメイン画像

「ダロウの書」マタイ福音書記者ページの「人」シンボル

「ダロウの書」マタイ福音書記者ページの「人」シンボル
Book of Durrow. IE TCD MS 57fol.21v
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「ダロウの書」マルコ福音書冒頭

「ダロウの書」マルコ福音書冒頭
Book of Durrow. IE TCD MS 57,fol.86r.
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参考文献

脚注