「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(Les Très Riches Heures du duc de Berry)は十五世紀のフランスで製作された装飾写本。「時禱書」とは聖職者の日々の礼拝儀礼をまとめた「聖務日課書」を簡略化したもののこと。1411年頃から1416年の間の時期にベリー公ジャン1世の依頼でランブール兄弟によって作成が開始され、ベリー公およびランブール兄弟死後の製作中断期を経て1480年代に画家ジャン・コロンブによって完成された。1856年、オマール公アンリ・ドルレアンが購入し、死後、遺言により他のオマール公の遺品コレクションとともにフランス学士院に寄贈され、現在、シャンティイ城内のコンデ美術館に収蔵・展示されている。国際ゴシック派を代表する「写本芸術の最高峰」(1諸川春樹編著(1996)『西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版』美術出版社、15頁)として名高い。
ベリー公ジャン1世のコレクション
ベリー公ジャン1世(1340年11月30日生-1416年6月15日没)はフランス王ジャン2世の第三王子。百年戦争期フランスの政治家・軍人。兄にフランス王シャルル5世、アンジュー公ルイ1世、弟にブルゴーニュ公フィリップ2世がいる。1360年にベリー公に叙され、百年戦争下、兄王シャルル5世の再征服戦争を支え、シャルル6世即位後の1380年からは国王代行官として南フランスの統治を担った。オルレアン公とブルゴーニュ公の対立が深まると両者の融和を図ろうと努力するが、オルレアン公暗殺によって対立が決定的になると、反ブルゴーニュ公派をまとめてアルマニャック派の成立を斡旋、王権の維持に尽力した。
ベリー公ジャン1世は芸術の庇護者として同時代を代表する人物でもあった。特に装飾写本のコレクションは著名で、『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』の他、ジャックマール・ド・エダン(?-1409)による『ベリー公の詩篇集』(1386年頃)、ナルボンヌの装飾飾りの画家による『ベリー公のいとも美しき聖母の時禱書』(1380-90頃)、ランブール兄弟による『ベリー公のいとも美しき時禱書』(1410頃)など蔵書目録では1000点、現存するだけでも六冊300点に上る写本群がある(2冨永良子著「第8章 国際ゴシック様式の絵画 フランコ・フラマン派を中心に」(佐々木英也/冨永良子 編集(1994)『世界美術大全集 西洋編10・ゴシック2』小学館、300-303頁)。
時代背景
『ヨーロッパ中世において祈りは聖職者のつとめで、彼らは日々聖務日課書に従って、朝課から終課にいたる8定時課(定時に唱えるところから時禱とも呼ばれた)を唱え、ミサ典書に従ってミサをあげた。中世末期になると平信徒の中でも王侯貴族や富裕な市民の間で個人的な信仰の手引きとして、聖務日課書を簡略化したものが時禱書という名称で用いられるようになった。』(3富永良子(2002)「訳者あとがき」(ベスフルグ、フランソワ/ケーニヒ、エバーハルト 編著/冨永良子翻訳(2002)『ベリー公のいとも美しき時禱書』岩波書店、270頁))
特に十四世紀後半から十五世紀のフランス、フランドル、ネーデルラント、イングランドなどにかけて盛んに製作されるようになったが、その背景としては、第一に、十四世紀半ば以降のペストの蔓延と百年戦争などの戦乱の中で信仰心が高まったこと、第二に、教皇庁のアヴィニョンへの移動によるフランス諸侯とカトリック教会との交流が深まったこと、第三にフランス王シャルル5世が文芸を保護して写本装飾技術が広まったことなどがあり、シャルル6世(在位1380-1422年)時代にフランスを中心として『13世紀以来のゴシック絵画の伝統に由来する装飾的色彩、流麗なアラベスクをなす線描による優雅な形態表現』(4富永良子(1994)297頁)を特徴とする国際ゴシック派と呼ばれる様式が確立して、ベリー公ジャンを筆頭に多くの王侯貴族たちの庇護の下で時禱書の作成が進められた。
「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」
「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」の製作者ランブール兄弟はナイメーヘン(現在のオランダ・ヘルダーランド州の都市)出身、ポール、ヘルマン、ジャンの三兄弟で国際ゴシック派の代表的な画家とみなされている。パリで修業した後ポールとジャンはブルゴーニュ公フィリップ2世に仕え、公の死後1410年頃までに三人ともベリー公に仕えて時禱書の作製にかかった。1416年ベリー公の死と同時期に三兄弟とも亡くなったことで製作は一時中断、1480年代、未完成の時禱書はサヴォワ公カルロ1世の手に渡り、画家ジャン・コロンブによって完成をみた(5富永良子(1994)302頁)。
「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」で特に評価が高いのが見開き2ページを使った「大教皇グレゴリウスの行列」である。『2欄に分けて書写されたテキスト・ページに挿絵を入れる場合は、通常1欄分の全体か部分を用いるのが通例であるが、ここでは挿絵と2ページ分の左・右・下の欄外を合体させ、サンタンジェロ城近くのローマの城壁の内外を進む行列が巧みな構成で抽出され、しかもそれがテキスト部分とも見事に調和している』(6富永良子(1994)302頁)と評される。
また、月暦(農事暦)画は1月から12月まで12枚の図像によって人々の営みが表現されており、中世末期の人々の暮らしを知る格好の画像史料となっている。
一月はクリスマスから公現祭(六日)までの酒宴の様子が描かれ、二月は復活祭前の禁欲期間かつ雨季のため暖炉で温まる様子が描かれ、三月からは農作業が開始され、四月・五月は春を迎えて戸外でそれらを愛でる情景、六月は冬の飼料となる干し草準備のための牧草刈り、七月は小麦の収穫、八月はエタンプ城を背景に鷹狩りの様子、九月はソーミュール城を背景にぶどうの収穫、十月は対岸にルーヴル宮を眺めながら冬麦の種まきが行われており、十一月は豚の餌として椎の実落としの様子、十二月は猟犬たちによる前月に育てた豚の屠殺の様子という具合に一年間のサイクルが描かれている。(7河原温/堀越宏一 著(2015)『図説 中世ヨーロッパの暮らし』河出書房新社、ふくろうの本/世界の歴史、46-47頁/富永良子(1994)「作品解説」(佐々木英也/冨永良子 編集(1994)『世界美術大全集 西洋編10・ゴシック2』小学館、406-407頁))。
六月の場面からは当時の農民の衣服がよくわかる。丁度十四世紀後半から十五世紀にかけて衣服の身分差・性差が明らかになり始め、男性服より女性服の方がより長いチュニックやギャルド・ローブと呼ばれる前掛けなどで特徴付けられ、また胸の部分をV字型に切り開いて紐やボタンで留めるようになった(8河原温/堀越宏一(2015)116頁)。
参考文献
- 河原温/堀越宏一 著(2015)『図説 中世ヨーロッパの暮らし』河出書房新社、ふくろうの本/世界の歴史
- 佐々木英也/冨永良子 編集(1994)『世界美術大全集 西洋編10・ゴシック2』小学館
- 諸川春樹編著(1996)『西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版』美術出版社
- ベスフルグ、フランソワ/ケーニヒ、エバーハルト 編著/冨永良子翻訳(2002)『ベリー公のいとも美しき時禱書』岩波書店
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