中世アイルランド文学の重要な写本の一つである「リズモアの書」が、現在の持ち主である英国の貴族デヴォンシャー公爵からアイルランドの国立大学ユニバーシティ・カレッジ・コーク(University College Cork, UCC)へ寄贈された。1640年代に戦争で持ち去られて以来、約380年ぶりの返還となる。
「リズモアの書(英語” Book of Lismore “, アイルランド語” Leabhar Leasa Móir “)」は中世のアイルランド南部マンスター地方で最大の領主であったカーベリー領主(Lord of Carbery)の第十代当主フィンギン・マッカーシー・リーク(” Finghin MacCarthy Reagh” , 1478-1505)のために編纂されたゲール(アイルランド)語写本である。
リズモアの書に収録されている物語はアイルランドの聖人たちと関連する黙示録の物語、ランゴバルド人とシャルルマーニュの征服の歴史、フィン・マックールとフィアナ騎士団の伝説の他、現存する唯一のマルコ・ポーロ著「東方見聞録」(注1)のゲール語訳テキストが含まれており非常に貴重なゲール語写本として知られている。
1640年代、イングランド清教徒革命の一環として起きていたアイルランド同盟戦争(1641~1653)で当時保管されていたキルブリッテン(Kilbrittain)城から他の宝物などとともに掠奪されて、アイルランドの英国植民地化を推進した親英派アイルランド貴族の最有力者コーク伯爵(Earl of Cork)に贈られた。以後、同書はコーク伯爵の居城リズモア城にあったものの1814年に城内で再発見されるまで行方が知れなくなった。
1866年、コーク伯爵位を継いだデヴォンシャー公の財産となり、1914年よりデヴォンシャー公爵のロンドンの居館デヴォンシャー・ハウスに贈られ、後に所領である英国ダービーシャーのチャッツワース・ハウスへと移された。2011年より、デヴォンシャー公爵からUCCに貸し出されていたが、今回正式に寄贈されることになった。
今回リズモアの書を寄贈した第十二代デヴォンシャー公爵ペレグリン・キャヴェンディッシュ(Peregrine Cavendish, 12th Duke of Devonshire)氏は「2011年にリズモアの書をUCCに展示会のために貸し出して以来、私たちはこの本を恒久的に返還する方法を検討してきました。私と私の家族は、このようなことが可能になったことを嬉しく思い、また、この本が何世代にもわたる学生、研究者、そして大学を訪れる人々のためになることを願っています。」と声明を出した。
UCC学長であるジョン・オハロラン(John O’Halloran)教授は、「これはUCCにとって非常に歴史的な瞬間です。リズモアの書は、私たちの文化遺産の重要なシンボルです。UCC図書館へのリズモアの書の寄贈は、コークとゲール語研究が時代を超えてつながっていることを強調しています。デヴォンシャー公爵によるこの素晴らしく寛大な行為は、我々の国と文化の間の共通の理解、すなわち啓蒙、礼節、共通の目的に基づいた理解を再確認するものです。」と今回の寄贈についてその意義を強調する。
リズモアの書は今後UCC図書館のギャラリーで公開される予定となっており、UCCは「リズモアの書」のウェブページで「リズモアの書は、今後、UCCの学部および大学院レベルでゲール語写本(テキスト、スクリプト、そして構成要素)の共同研究のための基盤を形成することになる」と、研究の深化に期待を寄せている。
UCCのリズモアの書のウェブページで詳細な解説と動画や画像が多く閲覧できる。
ニュースソース
“Home – Book of Lismore – UCC Library at University College Cork“(University College Cork)
“Historic Book of Lismore returning to Ireland after centuries in British hands | Books | The Guardian“(The Guardian)
“Ancient book about saints and sagas donated to UCC“(RTÉ Ireland’s National Television and Radio Broadcaster)
脚注
注1)波多野裕造著『物語 アイルランドの歴史 欧州連合に賭ける“妖精の国” (中公新書)』(中央公論新社、1994年)によると、「十五世紀のアイルランド文学はイギリスやヨーロッパ大陸で読まれていたものの翻訳や翻案が多く、聖人の生涯とか説話が主流となっていた。またアーサー王と円卓騎士団をめぐる中世のロマンス伝説やマルコ・ポーロの『東方見聞録』なども広く持てはやされた。」(91頁)という。