「ウルクの大杯(英語 “ Warka Vase ” )」はウルク市の遺跡から発見されたウルク期(前3500~3100年頃)後期からジュムデト・ナスル期(前3100~2900年頃)にかけての時期に作られたとみられるアラバスター製の大きな容器。1933~34年のドイツ隊による発掘調査で、ウルク市の女神イナンナを祀る神殿を中心としたエアンナ聖域地区のジュムデト・ナスル期の宝物庫で発掘された。
高さ約一・一〇メートル。『円筒形胴部の外周を三段に分けて、帯状に彫られた図像は、文字で書かれた史料がほとんどない時期に、目で見る形で宗教儀礼を記録した貴重な考古史料である』(小林,55頁)。ウルクの最高神イナンナ神殿への献上品として作られ、おそらく対になる杯がもう一つあったと考えられている。
大杯の図像
大杯の図像は、前述の通り三段に分かれているが、最下段はさらに二分され、底辺はティグリス・ユーフラテス川の流れと大麦となつめやしあるいは亜麻が描かれ、上部は雌雄の羊が描かれている。中段は神官と思われる剃髪した裸の男たちがバスケットや容器を抱えて羊たちとは逆方向に歩いている様子が描かれている。これは最下段の大麦や亜麻で描かれる農業と羊として描かれる牧畜・家畜での収穫物を運んでいる様子である。最上段は通称「ネットスカートの男」と呼ばれるウルクの支配者が従者を従えてイナンナ女神の前に立ち、両者の間にイナンナ女神への供物を入れたバスケットを持った男が描かれる。
豊穣と聖婚
「ウルクの大杯」に豊穣を祝う儀礼が描かれていることは疑いえないが、さらに進んで「聖婚儀礼」を描いているとする解釈もある。
『「聖婚儀礼」は男女の交合により、混沌から秩序を回復し、不毛を豊穣に変えることなどを意味する。』(小林,76頁)
『前三千年紀末から二千年紀前半にかけての南部メソポタミアでは、いくつかの都市で、都市の主神と女神、あるいは主女神と男神とのあいだの「聖婚」が儀礼化していたようにみえる。
(中略)
前三〇〇〇年頃のウルクにおいて、のちのテキストにみえるような「聖婚」儀礼がすでに成立していたかどうか、はっきりしない』(前川,9-10頁)
豊穣儀礼やさらに聖婚儀礼とも捉えられる図像だが、これらの儀礼を通して、支配者が収穫物をイナンナ女神に捧げることで、支配者の役割が保障されるという構図が図像化されているといえる。
『古代メソポタミアとりわけ前二千年紀までの宗教イデオロギーでは、支配者は神によって選ばれる。彼は、この世を管理、支配するためのさまざまな手立てを、神から与えられる。そのことが、「ウルクの大杯」によって図像化されたのである。「ウルクの大杯」において、神の命令のもと、生産、消費体制を管理するために、王が生まれ、国家組織が確立されたことが、はじめてあざやかに語られた。』(前川,10頁)
破壊、略奪された「ウルクの大杯」
2003年4月9日、米軍がバグダードを占領してフセイン政権が崩壊したが、同4月12日、イラク博物館に略奪者が殺到して収蔵品約1万5000点が略奪された1“イラク国立博物館が12年ぶり再開、ISの略奪行為に反発(AFP 2015年3月1日)””イラク国立博物館、略奪被害1万5千点 回収は4千点(朝日新聞)”。この略奪品の中に「ウルクの大杯」も含まれており、台座が破壊されて奪い去られる事態となった。このとき、イラク博物館から米軍に略奪を防ぐよう依頼があったが米軍はこれを黙殺して有効な対策を取らなかったとして後に厳しく批判されている2“開戦直後の文化遺産略奪 米軍は阻止へと動かなかった イラク国立博物館長が来日講演(しんぶん赤旗2004年4月7日)””In Iraq’s four-year looting frenzy, the allies have become the vandals(The Guardian,Fri 8 Jun 2007)”。数か月後にイラク博物館に戻ったときは十四個の破片に割れてしまっていたが3“In Iraq’s four-year looting frenzy, the allies have become the vandals(The Guardian,Fri 8 Jun 2007)”、修復作業を経て現在は完全な状態を取り戻している。
参考書籍・サイト
- 大貫良夫,前川和也,渡辺和子,屋形禎亮(2000)『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント(中公文庫)』中央公論新社
- 小林登志子(2005)『シュメル――人類最古の文明』中央公論新社
- 前川和也(2011)『図説メソポタミア文明』河出書房新社