キンリッチ(Cynric1発音記号/ˈkɪnˌrɪtʃ/)は第二代ウェセックス王(在位534-560年)。父または祖父のチェアディッチとともにブリテン島へ上陸、ウェセックス王国を建国したと伝えられている。
事績
キンリッチは495年、チェアディッチとともに五隻の船団を率いて現在のハンプシャー州南部に上陸したという。「アングロ・サクソン年代記」によればキンリッチはチェアディッチの子、アルフレッド王に仕えた修道士アッサーが著した「アルフレッド王の生涯」(893年頃)に書かれている王家の系譜ではキンリッチはチェアディッチの息子クレオダの子、すなわちチェアディッチの孫であるとしている(2アッサー(1995)『アルフレッド大王伝』中央公論新社、中公文庫、61-62頁)
508年、二人は軍を率いて現在のハンプシャー州サウサンプトンの西ネットリー・マーシュでブリトン人の王ナタンレオドとその配下5000人を殺害、519年、ウェセックス王国を建国してチェアディッチが初代の王となったとされている。527年、ミドランズ西部ウスターシャー州チャーフォードまで遠征してブリトン人と戦い、530年、ワイト島を征服、534年、チェアディッチは死去し、キンリッチが王位を継いだという。即位後、552年に現在のソールズベリー近郊オールド・サルムでブリトン人を撃破し、556年には現在のオックスフォードシャー北部バンベリー城でブリトン軍を破るなど勢力を着実に拡大した。560年に死去し、息子のチェウリンが王位を継承した。
キンリッチ王の事績に関する記述は九世紀後半にウェセックス王アルフレッドの命で編纂が開始された「アングロ・サクソン年代記」のみだが、三世紀以上後に書かれたもので記述を裏付ける他の同時代史料が無く、それぞれの事件の年代も疑問視されており、考古学的にもこれらの記述を裏付けることは出来ない。ウェセックス王国の起源として、チェアディッチとキンリッチが大陸から渡ってきたとする記述自体現在は疑問視されており、名前もブリトン語起源とする説が有力で、六世紀後半から七世紀前半にかけてテムズ川上流域に勃興したゲウィッセと名乗る部族がウェスト・サクソン(ウェセックス)族を支配下に治める過程で七世紀後半からウェスト・サクソンの王を称するようになったとみられている。
詳しくは以下の記事を参照のこと
参考文献
- 青山吉信(1991)『世界歴史大系 イギリス史〈1〉先史~中世』山川出版社
- 大沢一雄(2012)『アングロ・サクソン年代記』朝日出版社
- 伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社
- アッサー(1995)『アルフレッド大王伝』中央公論新社、中公文庫
- チャールズ=エドワーズ、トマス(2010)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(2) ポスト・ローマ』慶應義塾大学出版会
- Coates, Richard .(1990).’On Some Controversy Surrounding Gewissae / Gewissei, Cerdic and Ceawlin‘, Nomina, 13 , pp. 1–11.
- GILES, J.A. (1914).’THE ANGLO-SAXON CHRONICLE.‘,G. BELL AND SONS, LTD.
- Hamerow, H., Ferguson, C., Naylor, J.(2013), ‘The Origins of Wessex Pilot Project‘, Oxoniensia 78: 49-69.
- Hamerow, H., Ferguson, C. ,Naylor, J., Harrison,J., McBride, A. ‘The Origins of Wessex: uncovering the kingdom of the Gewisse‘ , University of Oxford.
- Shore,Thomas William.(1906).’Origin of the Anglo-Saxon Race‘,Elliot Stock.pp.224-225.