ゴドジン王国(Kingdom of Gododdin)は現在のスコットランド南東部ロージアン地方に六世紀頃存在したブリトン人の王国。首都はエディンバラ。アングル人勢力の拡大によって劣勢となり600年頃カトラエスの戦いの大敗で衰退、638年、バーニシア王国によってエディンバラを攻略され滅亡した。同時代の詩人アネイリンによる挽歌「ア・ゴドジン(Y Gododdin)」によってカトラエスの戦いの悲劇が知られている。
ゴドジン王国の歴史
ローマ帝国がブリテン島から撤退した後、ロージアン地方一帯はブリトン人のウォタディニ(Votadini)族がハディントン近郊の丘陵トラプレイン・ロー(Traprain Law)を中心に勢力を広げていた。このウォタディニ族が当時ディン・エイジンと呼ばれた現在のエディンバラに都を移して成立したのがゴドジン王国とみられる。フォース湾を挟んで北にはピクト人の王国やスコット人のダルリアダ王国が、南にはブリトン人のフレゲッド王国とエルメット王国、西のストラスクライドにはブリトン人のアルト・カルト王国が五世紀から六世紀にかけて順次誕生した。
これらのブリトン人諸王国が栄えたスコットランド南部からイングランド北部にかけての一帯は後にウェールズ語で「アル・ヘーン・オグレッズ(古き北方)」あるいは「ア・ゴグレッズ(北方)」と呼ばれブリトン人の末裔を自認していたウェールズ諸王国の王家にとってルーツと位置付けられた(1森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房、357頁)。グウィネズ王国の王家の始祖とされるキネザ・ウレディクはゴドジン王国のフォース湾南部付近と考えられているマナウ・ゴドジン(Manaw Gododdin)という地域の出身と伝えられている(2九世紀の文献「ブリトン人の歴史」(Historia Brittonum)62章にある/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社、56-57頁)。
現在のスコットランドの首都エディンバラ(Edinburgh)の名はゴドジン王国時代の地名ディン・エイジン(”Din Eidyn”,ブリトン語カンブリア方言でエイジン砦の意味)に由来している(3Dumville, David (1994), “The eastern terminus of the Antonine Wall: 12th or 13th century evidence” , Proceedings of the Society of Antiquaries of Scotland, 124: 293–298, DOI: 10.9750/PSAS.124.293.298,p.297.)。ディン・エイジンは現在のエディンバラ城が築かれているキャッスル・ロック上にあった砦を中心にした集落であったと考えられている。
五世紀半ばからブリテン島へ進出したアングロ・サクソン人がイングランド北部に広がるのは六世紀半ば以降のことで、ブリトン人諸王国を駆逐したアングル人が勢力を拡大、ティーズ川を境にして南にヨークを中心としたデイラ王国、北にバンバラを中心としたバーニシア王国が成立した。エセルフリス(在位593年頃-616/617年)時代のバーニシア王国の拡大にゴドジン王国は領土の縮小を余儀なくされた。
同時代の詩人アネイリンによる挽歌「ア・ゴドジン(Y Gododdin)」は600年頃にバーニシア王国とゴドジン王国を中心としたブリトン人連合軍の間で起きたカトラエスの戦いの悲劇を描いている。ゴドジン王ミナゾグ・ムウインヴァウル(Mynyddog Mwynfawr)は北方のブリトン人社会全体に呼びかけて363人の首長が応じてディン・エイジンに参集、歓待を受けた後、バーニシア王国が征服したカトラエス(Catraeth4現在のノース・ヨークシャー州カタリックと考えられている)へ出陣した。兵力の総数は不明だが激しい戦いの後、首長のうち生き残ったのは三人だけだったたという(5Williams, John.(1853).Y GODODIN : A Poem on THE BATTLE OF CATTRAETH, by ANEURIN. WILLIAM REES; LONDON,LONGMAN, AND CO./”Skene,William F.(1868).The Four Ancient Books of Wales. ed. Edinburgh: Edmonston and Douglas, Mary Jones,The Gododdin.”)。この戦いの後エディンバラ周辺まで勢力が縮小、アイルランドの年代記「アルスター年代記」によれば、638年、ノーサンブリアのオスワルド王によってエディンバラが包囲され陥落、ゴドジン王国は滅亡した(6The Annals of Ulster at University College Cork’s CELT – Corpus of Electronic Texts.,Year U638./Grout, James.”Y Gododdin“,Encyclopaedia Romana.)。
参考文献
- 青山吉信(1991)『世界歴史大系 イギリス史〈1〉先史~中世』山川出版社
- 瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社
- 森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房
- チャールズ=エドワーズ、トマス(2010)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(2) ポスト・ローマ』慶應義塾大学出版会
- Dumville, David (1994), “The eastern terminus of the Antonine Wall: 12th or 13th century evidence” , Proceedings of the Society of Antiquaries of Scotland, 124: 293–298, DOI: 10.9750/PSAS.124.293.298
- Skene,William F.(1868).The Four Ancient Books of Wales. ed. Edinburgh: Edmonston and Douglas, Mary Jones,The Gododdin.
- Williams, John.(1853).Y GODODIN : A Poem on THE BATTLE OF CATTRAETH, by ANEURIN. WILLIAM REES; LONDON,LONGMAN, AND CO.
- The Annals of Ulster at University College Cork’s CELT – Corpus of Electronic Texts
- History of the Britons (Historia Brittonum),Translated by J. A. Giles,Released 2006,The Project Gutenberg.