ダンカン1世(Duncan I , 1001年頃生-1040年8月14日没)は十一世紀初めのアルバ(スコットランド)王。在位1034年11月25日-1040年8月14日。前王マルカム2世の娘ベソックとアソル領主ダンケルド修道院長クリナンの間の子。
生涯
即位まで
即位前のダンカンについてはよくわかっていない。十四世紀スコットランドの聖職者ジョン・オブ・フォーダンが1384年頃に著した「スコットランド年代記” Chronica Gentis Scotorum”」の記述(1Skene, Felix James Henry; Skene, William Forbes (1872), John of Fordun’s Chronicle of the Scottish Nation, Edinburgh: Edmonston and Douglas.,p.176.)に基づいて、マルカム2世がストラスクライド王国を従属させたときにストラスクライド王となった(在位1018-34)とみるのが通説だが、ストラスクライド王国末期の体制については不明な点が多いため、異論もありはっきりしない。
アルバ王国では王位継承に際して「在位の国王の孫までを含む適齢以上の男子すべて」(2森護(1988)22頁)を対象とした王位継承候補者の間から選ぶ「タニストリー」と呼ばれる継承制度を取っていた。概ね、候補者の最長老あるいは最有力者がつくことになり、二つないし三つの王統から交互に王が選ばれていた。
この伝統的な王位継承方法に対し、マルカム2世は自身の直系の子孫に王位を継承させるという長子相続制度へ転換させた。長女ベソックとダンケルド修道院長クリナンの子ダンカンを次代の王とし、これを確実なものとするため、1033年、前王ケネス3世の子を殺害している。
短い治世
ダンカン1世の治世について特筆される記録は残っていないが、ジョン・オブ・フォーダンによれば内政はおおむね安定した統治を行っていたようである。一方、対外関係は従兄弟のマリ王マクベス、同じく従兄弟のオークニー伯トルフィン・シグルドソンといった北方の諸侯(モーマー)やイングランドとの国境地帯に勢力を確立したノーサンブリア伯シワードとの緊張関係が課題であった。マリ王マクベスがダンカン1世の後見であったという説もあるがよくわかっていない。また、サテン” Suthen”という名だけが残るダンカン1世の妻の出自について、ノーサンブリア伯シワードの縁者であるとも言われる。
1039年、ダンカン1世は自ら軍勢を率いて南下、ノーサンブリア伯領のダラム市を包囲するが撃退された。翌1040年、今度はマリ王国へ侵攻、8月14日頃、ダンカン1世率いるアルバ軍と迎え撃つマクベス率いるマリ軍が現在のエルギン市近郊で会戦となりダンカン1世は戦死した。
以上のようなマリ王国侵攻の経緯はわかっていないが、前述の通り後見だったマクベスの影響力を排除しようとしたとする説(3 Wikipedia contributors, ‘Duncan I of Scotland’, Wikipedia, The Free Encyclopedia, 31 July 2022, 15:07 UTC, https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Duncan_I_of_Scotland&oldid=1101536053 参照。該当の記述の出典とされているのは” Duncan, A. A. M., The Kingship of the Scots 842–1292: Succession and Independence. Edinburgh University Press, Edinburgh, 2002”)や、オークニー伯トルフィン・シグルドソンとマクベスが同盟関係にあったっため、この反ダンカン1世勢力を削ごうとしたとの説もある(4木村正俊(2021)『ケルト全史』東京堂出版、377頁)。
ダンカン1世の死後、アルバ王国へ侵攻したマリ王マクベスがアルバ王に即位し、良く知られるマクベス王として君臨した。マクベスに追われたダンカンの子らは国外に逃れ、1058年、ノーサンブリア伯シワードの支援を受けた長子のマルカムがマクベス、ルーラッハの親子を倒し、マルカム3世として即位した。次男ドナルベインも後にドナルド2世として即位している。初めてスコット人の王(スコットランド王)を称したマルカム3世以降、ダンカン1世の直系子孫による王位継承が実現、この血統はダンカン1世の父が務めた修道院名からとってダンケルド家と呼ばれる。
創作上のダンカン王
このように、実在したダンカン1世は若くて血気盛ん、それゆえに積極的な対外戦争に乗り出して失敗し王位を失ったという人物である。一方、後にウィリアム・シェイクスピアが戯曲「マクベス」で描いたダンカン王は老齢で思慮深く、威厳に溢れたキャラクターとなっており、非常に対照的である。また死因も、実在のダンカン1世は自ら戦いを挑んで会戦で戦死したのに対して、「マクベス」のダンカン王は城内での暗殺となっており、同様に正反対のシチュエーションとなっている。
参考文献
- 青山吉信(1991)『世界歴史大系 イギリス史〈1〉先史~中世』山川出版社
- 木村正俊(2021)『スコットランド通史 政治・社会・文化』原書房
- 木村正俊(2021)『ケルト全史』東京堂出版
- 森護(1988)『スコットランド王国史話』大修館書店
- シェイクスピア/安西徹雄訳(2008)『マクベス』光文社、光文社古典新訳文庫
- Skene, Felix James Henry; Skene, William Forbes (1872), John of Fordun’s Chronicle of the Scottish Nation, Edinburgh: Edmonston and Douglas.