イスラエル北部の地中海に面した港町ハイファ(Haifa)の南、テル・シクモナ(Tel Shikmona)で1960~70年代に発見された遺跡について、約3000年前のフェニキア人による紫色の染料生産施設であったとする研究結果が発表された。非常に大きな発見として、Jewish Pressなどが報じている。
ハイファ大学(University of Haifa)のアイレット・ギルボア(Ayelet Gilboa)教授と研究者のゴラン・シャルヴィ(Golan Shalvi)氏によれば「今まで、フェニキアにおける紫色染料製造の主な中心であったティルスやシドンでさえ、聖書時代である鉄器時代、紫色の織物を製造する作業場を示す直接的な考古学的証拠はなかった」という。「もし我々の発見が適切に実証されれば、カルメル海岸のテル・シクモナは、この地域で最もユニークな考古学的遺跡の一つになる」。
これまで、テル・シクモナ遺跡一帯は1970年代に発掘が進められていたものの、同地の南側に位置するビザンツ帝国の植民都市遺跡での調査に集中しており、本格的な研究は必ずしも進んでいなかった。
テル・シクモナ地域の海岸線は岩だらけで、船を安全に着岸させることができなかったと考えられる。また、近隣に広い農地も無かったことから、農業もこの集落の目的とはならず、さらに主要な街道上にもない。このため、考古学者はなぜこの小さな岬に居留地が設けられたのか完全には理解できていなかった。
ギルボア教授とシャルヴィ氏は、これまで同遺跡で発見された大量の陶器の破片を調べた結果、二つの現象が明らかになったと指摘する。第一に、豊富な調査結果は、海外から輸入された並外れた数の容器を含みフェニキア文化に関連している。テル・シクモナはキプロスを除き“ブラック・オン・レッド・ウェア”(フェニキアおよびキプロスに特徴的な黒と赤のインクで幾何学文様が描かれた容器)が最も残っている遺跡である。
第二に、テル・シクモナでこれまでに発見された遺物が、紀元前1000年以降、世界中で発見された、さまざまな色合いの紫色を今も残す陶製の大樽の最大のコレクションとなっている。分析の結果、粘土に吸収された色素は本物の海巻貝の色素であることが明らかになった。
「紫色を基調としたこの時代の破片は非常に珍しい。このようなアイテムは、ドール(Dor)やアッコ(Akko)など、イスラエル北岸沿いの地域でも見つかっているが、数は少ない。しかし、テル・シクモナにはこのタイプの容器が30個近くあり、これは非常に珍しいことだ」と研究者らは強調した。染料の生産に加えて、数十の紡錘輪と織機の重りも発見され、現地で染色された羊毛と織物の生産を証明した。
昔は聖書の記録から、アッシリアによって滅ぼされるまで、シクモナとカルメル地方全体がイスラエル=ユダ連合王国、次いでイスラエル王国の一部であったと推測されていた。しかし、調査した結果に基づいて、研究者たちはこの遺跡をフェニキアの世界と結びつけることを提案している。
この時代の最も高級な衣服は、有名な紫色に染められていた。この紫色は、アッキガイ科の海巻貝の腺から作られたものだ。1キログラムの染料を生産するためには何千匹もの巻貝が必要であったため、紫の服を着ることは貴族や王族の特権となった。多くの王国では、一般市民はそのような服を着ることを禁じられていた。紫色の製法や染色の秘伝は慎重に守られ、現在でも古来の技術は十分には理解されていない。
最新の知見のおかげで、研究者たちはシクモナの重要性に新たな光を当てることができるようになった。この小さな孤立した場所は村でも居留地でもなく紫の染料の生産と織物と羊毛の染色のための強化された工場であった。このような環境は、数万匹単位で収穫できるアッキガイにとって理想的な生息地となる。住民は、紫色の染料製造の秘密を握っていたフェニキア人の文化的・情報的世界に親近感を持っていた。紫色に染められた布は交易網のバックボーンを形成し、これらの接触を通じて運ばれた豊富なキプロス陶器の遺跡での存在を説明した。
「現在までのところ、鉄器時代のフェニキアには紫色の染料の産地は見つかっていない」と研究者らは結論づけた。「私たちはティルスとシドンおよびレバノンの他の場所に生産地があることを知っており、何千ものアッキガイの殻がそこで見つかっているが、それらの大部分は古典時代のものであり、生産地自体の証拠も染料の直接の証拠もまだないようである。シクモナの特徴や機能を明らかにしたことで、この時代に発見された最初の紫色染料の産地の遺跡であり、間違いなく最も重要な遺跡の一つだ。カルメル海岸は、この時代には二次的に重要な地域と考えられていたのではなく、現在では古代一般に、特に聖書時代に、最も重要な染料の生産地の1つとして正当な位置を占めることができる」
フェニキア人は紀元前十二世紀頃から地中海沿岸のティルス、シドンなどの都市国家を拠点としてシリアからアナトリア半島、さらにイベリア半島にまで進出し、地中海交易を独占した海洋交易民。アルファベットの祖型と言われるフェニキア文字を使用した。のちにアッシリア、ペルシアに従属する一方で、カルタゴに植民市を築き、ローマと地中海の覇権を争う。貝からとれる紫色の染料(貝紫)は彼らの主な輸出品として知られたが、これまでその生産拠点についてははっきりしていなかった。今回、テル・シクモナ遺跡が、そのフェニキア人の特産品の一つだった紫色の染料の最古の生産工場の可能性が高まり、今後の研究の進展に非常に大きな注目が集まる。
参考記事・文献
・3,000-Year-Old Purple Dye Industry Revealed Near Haifa (The Jewish Press)
・3,000-year-old purple dye industry revealed near Haifa (The Archaeology News Network)
・Tel Shikmona – Wikipedia
・小川英雄, 山本由美子 著『世界の歴史4 – オリエント世界の発展 (中公文庫)』(中央公論新社,2009年)
・栗田 伸子, 佐藤 育子 著『興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)』(講談社,2016年)