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歴史的文書

「アグリコラ」(タキトゥスの著作)

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「アグリコラ(ラテン語 ” De vita et moribus Iulii Agricolae” アグリコラの生涯と性格について)」は西暦98年頃、ローマの歴史家タキトゥスが自身の妻の父にあたるローマ帝国の軍人・政治家グナエウス・ユリウス・アグリコラについて著した伝記である。グナエウス・ユリウス・アグリコラは属州ブリタンニア総督としてスコットランド南部まで領土を拡大した華々しい軍事的成功を収めた人物で、「アグリコラ」では主に彼のブリタンニア総督時代(西暦77or78年~84or85年)の活躍と、一世紀当時のブリテン島の社会や風俗について紹介している。

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「アグリコラ」の構成

I.序文(1-3章)
II.伝記
 A.アグリコラの幼少期からブリテン島遠征まで(4-9章)
 B.アグリコラのブリテン島遠征
  1.序文
   (i)ブリテン島の説明(10-12章)
   (ii)アグリコラ以前のローマ軍のブリテン島での行動(13-17章)
  2.アグリコラ遠征の主な物語(18-38章)
 C.アグリコラの解任、引退、死(39-45章2)
III.結び(45章3-46章)1J. W. E. Pearce (1901)による分類(From Pearce, J. W. E. 1901. The Agricola of Tacitus. London: George Bell and Sons. P. xviii. https://dcc.dickinson.edu/tacitus-agricola/pearce-intro/plan-of-the-agricola )

「アグリコラ」の主な内容

序文にあたる一章から三章では「アグリコラ」が発表された背景となるドミティアヌス帝の専制政治の惨禍の記憶と、それに抵抗した人々の「高邁な精神」(2Tacitus, Agricola 1(タキトゥス(1996)『ゲルマニア アグリコラ』筑摩書房、ちくま学芸文庫、114頁))への賛辞、伝記を著す意義などが語られる。また、誕生から属州ブリタンニア総督就任までのアグリコラ初期の経歴が描かれる四章から九章、とブリタンニア総督退任から死と伝記全体の結びまでが描かれる三十九章から最終章の四十六章までを除くと、内容の大半はブリテン島に関する描写で占められている。

十章ではブリテン島の地勢、十一章では諸部族の特徴――特に身体的特徴・信仰・言語などが大陸のガリア人とよく似ていること、彼らはガリア人やヒスパニア人が大陸から渡来したものではないかという説の紹介、十二章では戦い方、農産物、鉱物などが概観される。十三章から十七章ではローマ帝国とブリテン島との関係の歴史がユリウス・カエサルによる遠征、クラウディウス帝による征服と属州化、歴代属州総督の事績、イケニ族の王妃ボウディッカの反乱に代表されるブリトン人反乱など統治の不安定さといった内容が紹介されている。

十八章から三十八章まではアグリコラ着任後のウェールズ、イングランド北部、スコットランド南部にかけての大規模な遠征と内政などアグリコラの功績が描かれる。軍事面では特にカレドニア人指導者カルガクスとの決戦モンス・グラウピウスの戦いには二十九章から三十八章までが割かれている。また、砦や道路を各地に作り、神殿を建て市場を開き、先住民を都市に移住させるなどブリテン島のローマ化を進めた点も描かれている。三十九章から四十五章にかけてはアグリコラの晩年から死までが描かれ、四十五章と四十六章の最後の二章でタキトゥスは義父アグリコラを称え、「アグリコラは、後世の人々に語り継がれて生き残ることであろう」(3Tacitus, Agricola 46.タキトゥス(1996)225頁)と結ぶ。

グナエウス・ユリウス・アグリコラ
グナエウス・ユリウス・アグリコラ(Gnaeus Julius Agricola,40年6月13日生-93年8月23日没)はローマ帝国の軍人・政治家。ローマ属州ブリタンニア総督としてウェールズ、イングランド北部、スコットランド南部を征服しブリ...

「アグリコラ」のテーマ

タキトゥスはアグリコラの生涯をローマ人政治家が模範とすべき理想像として描いている。二十一章でアグリコラの業績として挙げられるのが原住民の「粗野な生活」を改めるべく公的な支援で神殿や市場や家を建てて生活水準を向上させ、部族の指導者層の子弟に教育を施すなどローマ文化の啓蒙を行ったことである。タキトゥスは『「野蛮」な人々を「良き」人々へと啓蒙してローマ国家の平和な構成員とすることは、帝国統治に与るローマの第一級の政治家の使命であり課題』(4南川高志(2015)『海のかなたのローマ帝国 古代ローマとブリテン島 増補新版』岩波書店、世界歴史選書、131頁)であり、『属州化は、彼らを「文明」世界へ移行させるものと考え』(5南川高志(2015)132頁)ていたとみられる。一方で同じ二十一章でローマ化の進展により華美な生活習慣も根付き、これを『「隷属化」を示す一つの特色』(6Tacitus, Agricola 21.タキトゥス(1996)176頁)として批判した。

タキトゥスはブリトン人のローマ支配への抵抗を野蛮な暴挙と捉えて厳しく非難し、ローマ軍による征服と属州化を正当なものと考え、アグリコラの業績を称揚したが、このような文明化の中に潜む隷従化の兆候を厳しく批判するために、ローマ人に敵対する人々の中に自由な精神を見出した。特にカレドニアへの遠征でアグリコラと対決したカレドニア人指導者カルガクスの演説の中でも後世繰り返し引用される有名な一節はローマ帝国の際限ない領土拡大に批判的なタキトゥスの心情を反映させたものとみられている(7南川高志(2015)130-131頁)。

「もう東方の世界も西方の世界もローマ人を満足させることが出来ないのだ。全人類の中でやつらだけが、世界の財貨を求めると同じ熱情でもって、世界の窮乏を欲している。彼らは破壊と、殺戮と、掠奪を、偽って『支配』と呼び、荒涼たる世界を作りあげたとき、それをごまかして『平和』と名づける。」(8Tacitus, Agricola 30.タキトゥス(1996)190頁

南川はこのような「アグリコラ」の描写の矛盾について、「タキトゥスにとって、『アグリコラ』に登場しローマに敵対する人々は、「野蛮」ではあるけれどもこうした隷属状態を免れている人々であった。たいへん逆説的な言い方になるが、彼らこそタキトゥスの称揚してやまない「自由」の精神の保持者であった」とし、「タキトゥスの相反するブリタンニア観が、矛盾を露呈せずに一つの作品の中に溶け込んでいるのは、この作品が普通の歴史書ではなく基本的に伝記なのであって、アグリコラという人物を称揚する目的に結局は叙述が収斂されているからであろう」と指摘している(9南川高志(2015)133頁)。

野蛮なブリテン島の人々を文明化するためにローマ軍による征服とローマ文化の浸透が正当であることを信じたが、同時に「『ローマ風であることRomanitas』のみが文明と幸福の唯一の基準であるわけではない」(10南川高志(2015)136頁)ことを理解し、「ローマの支配に屈しない『野蛮な』人々も、彼らなりの人生観や世界観があり、守るべき至上の価値を有していたのである」(11南川高志(2015)136頁)という視点を共存させ、彼が体験したドミティアヌス帝の専制政治時代や、彼が憤慨するローマの政治腐敗への批判を込めて、敬愛する岳父の伝記に昇華させたのが本作「アグリコラ」であった。

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参考文献

脚注

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