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ヨーロッパ史(書籍)

「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

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アドルフ・ヒトラー率いるナチス第三帝国はその十二年の統治の間、ドイツ国民の支持を広範囲に得て味方につけ、その維持に力を注いだ。ほとんどの場合、ドイツ国民は自らの意思で、積極的に、戦局が悪化して体制崩壊寸前となってもなお独裁体制を支持し続けた。メディアを積極的に活用したヒトラー政権はさまざまな残虐行為を隠すよりも公開して、その意義を訴える一方で、巧みに情報統制を行い、国民もそれに同意したのである。

『第三帝国の歴史では一貫して、同意と強制とはもつれ合っている。その理由の一部は、国民がほとんど好意を抱いていなかった特定の個人、少数派、社会集団を狙って強制と恐怖の手段が行使されたからだ。』(P2)

この本では、そのヒトラー政権を支持し続けた国民たちの姿が当時の公文書や新聞、メディア、その他さまざまな文書を元に生々しく描き出されている。上下二段組み全324ページの大著である。

ワイマール(ヴァイマル)共和国は誕生直後からその終焉まで権力闘争を宿命付けられていた。議会は小政党が乱立し、歴代大統領は法案を通すために非常時権限に頼り、迷走を重ね、議会の外ではたびたび支持者同士や、労働者、デモ隊が暴力衝突を起こし、大恐慌がそれに追い討ちをかけて、あらゆる政党を国民は見限っていた。

ヒトラー宰相就任直前のドイツの絶望感の反映として、自殺率が欧州諸国と比較して英国の二倍、米国の四倍という著しい高さにあったことがまず上げられる。女性の社会進出にともなう少子化は保守的な人々を不安にさせ、伝統的な家族制度の復活を望む人々が増加、『社会が「自由放任から義務に、働く女性から主婦と母親に」と風潮が変化』(P13)していた。また、犯罪率は増加の一途をたどり、メディアでは性犯罪やゴシップ、政治スキャンダルがしきりに報じられ、伝統破りの美術や音楽が流行し、ポルノグラフィーの売れ行きに、堕落の証拠と眉をひそめる人々は少なくなかった。さらに、失業者六百万人、隠れ失業者二百万人、また三百万人の不完全就業者がおり、人々はその日生きていくのに精一杯であった。

そんな状況下で国民は選挙のたびに、権力闘争にあけくれる腐敗した既存政党か、革命を唱える共産党か、という二択を迫られたから、躍進してきたナチ党に支持が集まるのは自然な流れであった。『「ドイツ選挙人の大多数をなすマルクス主義を良しとしない人びとにとって、ナチは唯一受け入れられる政党だった」』(P14)男女分業など保守的な家族観を唱えるナチ党だったが男性だけでなく女性の間にも広範囲に支持を広げていた。『全体として、保守主義の女性、カトリックの女性、それに自由主義の女性までがナチの主張する意見に同調した。』(P13)ヒトラーを権力の座に就かせたのは、混乱する社会を「正常な」状態にしたい、という願いだ。

ドイツ国民は、ヒトラーが力ずくで「全権委任法」を通したときにも、共産党員への攻撃を始めたときにも、ユダヤ人の「法的保護」を唱えてダハウに収容所を開設したときにも、既存の司法制度に替わって超法規的な「警察司法」制度を構築し、ゲシュタポへの密告を奨励し始めたときにも、理解を示した。そのころ、ヒトラー政権は経済政策で目覚しい成果を残し、人々の生活は文字通り劇的に好転していたからだ。

「警察司法」は司法制度に対する警察権の優越によって構成される。1933年、ヒトラーは新たにレヴェツォフを警察長官に任じると、『警察は共産党員と戦うために一時的に「予防逮捕」する権限をあたえられた。これで警察は、判事の審問の手間が省け、共産党員を「保護拘束」(Schutzhaft)できるようになった。』(P42)。元々保護拘束は未決の個人を民衆の怒りから保護するものだったが、このとき意味が逆転する。続いてヒトラーの私兵であったハインリッヒ・ヒムラー率いるゲシュタポが警察と融合することで、超法規的システムとして確立する。ゲシュタポを頂点とした新しい警察制度の確立は1936年のことだ。

『技術的には拘束された人物は逮捕の理由を告げられることになっており、紙のうえではゲシュタポは三ヵ月ごとに拘束命令の更新手続きをとらねばならなかった。けれども、このような最低の保障はなんの意味もなかった。なぜならばベルリンのゲシュタポ本部、言い換えれば警察自体が、拘束を継続すべきかどうかの権限を独占していたからだ。決定は秘密裏におこなわれ、弁護人は認められず、拘束された人物は姿をみせることさえ許されなかった。』(P51)

司法の制約を受けず警察内部で全てが完結することで、従来の司法制度よりはるかに迅速に事件が解決されることとなり、ドイツ国民はこれを歓迎、次々とゲシュタポとその下部組織のクリポ(刑事警察)に訴え出、秘密裁判で判決が下され死刑が執行された。ユダヤ人大学教授ヴィクトール・クレンペラーはこの事態になんら疑問を持たない人々の姿を嘆息して『「司法の意義がドイツのいたるところで失われつつあり、系統的に破壊されつつある」』(P10)と日記に書いた。

司法の死によってドイツ国民は積極的に密告を行うようになった。『警察またはナチ党に情報を提供することは、第三帝国では市民参加のもっとも重要な貢献のひとつだった』(P313)から、さまざまな「犯罪的」とされる行為を目にし、あるいは疑わしいと感じたときに、人々はゲシュタポに連絡する。本書では実に様々な密告例が紹介されている。

63歳の男性は長年連れ添ったユダヤ人の妻との不仲から彼女と別れたいと思い、彼女がヒトラーの悪口を言ったと密告し、妻はアウシュヴィッツに送られて死んだ。ある27歳既婚女性は隣人女性が「母親としての義務を省みない」でポーランド労働者と情事にふけっているとゲシュタポに告げ、密告された女性は収容所送りとなった。ある司祭が教会でポーランド労働者に石ころを投げないように説くと、その説教を聞いていた誰かがゲシュタポに密告し、司祭は収容所送りとなった。ある夫婦は鶏を飼っていたが、間借りしている家主は鶏が苦手で、両者でトラブルとなり、夫婦の妻は、家主がヒトラーの悪口を言ったとゲシュタポに密告し、裁判が開かれて家主は死刑になった。ある老女は隣人が外国のラジオを聴いているとゲシュタポに密告し、わざわざ自宅の提供を申し出た。また、ある男は義父との不仲から義父が外国ラジオを聴いていると密告し、義父はそれが男を悪い状況に追い込むと感じて男を守るために自殺した。あるいは、ある少女は物知りな弟を密告した。取調べに対して少女は『「弟を訴えるのは、いつも彼が正しいとはかぎらないことを示したいからです。弟はロバのように頑固で、自説をいつも正しいと思っているからです」』(P234)と答えたという。

全体主義は国家が市民社会を吸収し無化することによって成立するが、この本で紹介される様々な密告例はまさにその実例集といえるだろう。親子・夫婦・兄弟喧嘩、隣人とのトラブル、自己顕示欲の充足や自身の存在確認、物理的利益の獲得など、通常の市民社会では個人・家族・集団間で個別に対処される様々な社会関係を、国家が全て引き受け、一元的に処断する。

ゲシュタポは能動的に国民を監視した組織と思われがちだが、むしろ日々押し寄せる国民からの密告の処理に追われる受動的な組織であったらしい。あまりに利己的な密告が多いのでたびたび利己目的の密告を禁じようと様々な布告を出していたが効き目がなく、彼らの業務は大量の密告の事実調査に当てられた。ドイツ国民の積極的参加により、独裁体制は磐石なものとなっていった。

今風に例えるならゲシュタポの仕事は2ちゃんねると発言小町とtwitterと各種SNSその他諸々の中の主にネガティブな発言が全てゲシュタポに送られてきて、それら全てについて裏付けを取り釣り認定する、みたいなもので、おそらくゲシュタポの末端職員たちは日々終わりの見えない徒労感との戦いで、ナチ・イデオロギーを盲信することによって初めてそれを支えることが出来たのかもしれないな、などと思わされる。これが笑い話で済ませられないのは、この滑稽で卑近な理由によって、いとも容易く人々が次々と収容所送りになり、死んで行ったことだ。

人の営みは確かに非常に滑稽でくだらないことの繰り返しでしかない。しかし、その日々の営みで直面する様々な問題の解決を、より大きな何か、一刀両断してくれる強い権力に求め始めた先に悲劇が存在している。その一方で、個人ではどうあがいても解決できないことが確かに存在しており、その大きな何かに人の営みは左右され、時に悲劇に陥るために、その悲劇を回避する大きな仕組みを実行する権力もまた必要である。このような、如何にして権力の暴走を抑止し、あるいは権力の適正な行使を担保するか、という人類が陥ったジレンマのひとつの解として戦後社会が築かれてきた、ということはよく理解する必要があると思う。

第三帝国が築いた積極的な市民参加による密告制度が独裁制を基礎付けることになった理由は、その市民の姿勢が抵抗運動に壊滅的な影響を及ぼしたからだ。

『不服従の表現の「唯一絶対条件」は「社会・文化空間」が存在して、それが多かれ少なかれ保護された飛び地を提供し、そのなかで、不満をもち、抑圧を受けた集団が会合し、議論し、動員し、行動する場所があることだ。多くの一般市民が、警察の目となり耳となったのだから、抵抗できた人々は、組織し、連帯を結ぶために集うことができなかった。それでも「ノー」をいいたかった人びとは、流れに逆らわなければならなかった。彼らは、個人的に不信を示す行為に駆られたが、それは、道徳人としての彼らには重要でも、独裁制にとっては少しも脅威ではなかった。』(P314)

現代では敵対者にレッテルを貼るためのメタファーとして、アドルフ・ヒトラーやナチスという言葉は使われることが多い。だが、重要なのは、相手がヒトラー的かどうかレッテルを貼ったり、今生きている社会がワイマールやナチス支配時代的かどうか類推して絶望したりするのに使うのではなく、その当時に何が起きたのかを正しく知ることにこそあると思う。この時代の反省の上に現代社会は成り立っており、現代社会のわれわれが直面する問題を考える上で、少なくとも最悪の選択をしないための様々な示唆に満ちている。

当時何が起きて、今は何が違うのか?冷静に現代を見据えるためにこそこの時代をしっかりと学ぶ必要がある、と、この本で描かれる様々な人びとの滑稽で残酷な営みの数々に目を通しつつ思った。

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