2019年5月30日、十五世紀のワラキア公ヴラド3世(在位1448年、1456~1462年、1476~1477年)が対オスマン戦争で使用したと思われるカルバリン砲の砲弾がブルガリア北東部、ドナウ川沿いの町スヴィシュトフ(Svishtov)の発掘現場で発見されたと“Archaeology in Bulgaria”が報じている。
スヴィシュトフ自治体のプレスリリース(ブルガリア語)
発見された砲弾は十六世紀には使われなくなっていた小さな砲弾で十五世紀頃のものと推定され、おそらく1461~62年頃、ヴラド3世によるジシュトヴァ(Zishtova)城塞攻略時に使用されたものと考えられている。上記記事によれば、発掘責任者ニコライ・オヴチャロフ教授(Prof. Nikolay Ovcharov)の話として1462年2月、ヴラド3世からハンガリー王へ宛てた書状に激しい戦いの末にスヴィシュトフのジシュトヴァ城塞を得たこと、トルコ人410人を殺したことが書かれており、「そのうちの何人かは彼のやり方で串刺しにされただろう」という。
スヴィシュトフは古代ローマ帝国時代の植民市ノヴァエと比定されており、ジシュトヴァ城塞のあった一帯にはローマ軍によって要塞が建てられていたが、4~5世紀、異民族の侵攻に際して都市を維持しきれなくなり放棄され、13~14世紀頃、第二次ブルガリア帝国時代にジシュトヴァ城塞が築城された。築城に際しては第二次ブルガリア帝国時代の皇帝イヴァン・アレクサンダル(在位1331~1371年)、イヴァン・シシュマン(在位1371~1393年)の貨幣が使われたという。以後1810年にロシア軍に焼き払われて廃城となるまで幾度も攻防戦が繰り返されてきた要衝であった。
このような歴史的背景からブルガリアでは過去60年に渡って繰り返しスヴィシュトフの発掘作業が行われてきていたが、ジシュトヴァ城塞周辺はこれまで主要な発掘対象ではなく、今回、本格的な発掘作業が開始されたもの。
ヴラド3世の砲弾とともに今回、1~4世紀頃植民市ノヴァエに駐留していたローマ帝国第1軍団イタリカのノヴァエ駐留部隊に言及した碑文の一部や、ヴラド3世のものとされる小さな砲弾とは別の、より大きな時代の砲弾も発見されている。