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世界史コラム

ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて

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ジャンヌ・ダルクは戦場にあっても剣を振るうことを好まなかったことはよく知られているが、だからといって丸腰ではなく、ちゃんと剣を下げていた。しかも、その剣には不思議な、ある種の神がかり的なエピソードがある。

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「フィエルボワの剣」

シノン城でシャルル7世との面会を果たし、オルレアン行を認められたジャンヌは装備を整えていく。そこで彼女は不思議なことを言い出した。サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワという町にある教会の祭壇の後ろの地面に剣が埋まっていると声がした、と。そこで人を遣って調べさせたところ、錆ついた十字が五つ刻まれた剣が発見された。この五つの十字架はキリストの聖痕に対応するデザインである。ジャンヌのもとに送られ錆を落とし整えられると、これを下げてジャンヌは戦場を駆け巡ることになる。のちに「フィエルボワの剣」と呼ばれるジャンヌ・ダルクの愛剣である。ちなみに発見されたサント・カトリーヌ・ド・フィエルボワ教会は現在ジャンヌ・ダルク関連の観光地として有名である。

この剣だが、実は途中で行方がわからなくなる。コンピエーニュで捕虜となったとき、ジャンヌはこの剣を身につけていなかった。では「フィエルボワの剣」をどうしたのか、処刑裁判で裁判官たちはこの剣の行方を尋問したが、ジャンヌは「自分の剣を紛失した場所について答えるかどうかは裁判に関係ないことだ」と回答を拒否している。

せっかくなのでジャンヌ・ダルク処刑裁判の記録から、少々長いが、フィエルボワの剣に関する尋問部分を引用しておこう。1431年2月27日火曜日第四回審理である。

フィエルボワの剣に関するジャンヌ・ダルク全証言

「トゥールおよびシノンに滞留した時、同女は、サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワの教会の祭壇の後ろにある剣を探しに人を送ったところ、間もなく錆びついた剣が発見された、と述べた。
どうしてそこに剣があることを知ったのかと訊ねると、次のように答えた。その剣は錆びついたまま地中にあり、十字が五つ刻まれていた。同女は声によって剣がそこにあることを知ったのだが、それまでに剣を探しにいったような者はいなかった。同女はこの教会の司祭達に、この剣を手に入れられれば幸いであると手紙を持たせてやったところ、司祭達が剣を送ってくれた。剣は祭壇の後ろの地面の浅い箇所で発見されたのだと思う。ただし、正確には祭壇の前だったのか後ろだったのかは解らない。手紙にはその剣が祭壇の後ろにあると書いたと思う、と。同女はまた次のように述べた。剣が発見されると、その教会の司祭達は剣を研いだところ、錆はたやすくおちた。剣を受けとりにいったのはトゥールの武具師である。その教会の司祭達はジャンヌに鞘を贈ってくれた。トゥールの聖職者達もこの司祭達と共同して同時に二つの鞘を作らせてくれた。このうち一つは朱色のビロード、他の一つは黄金色の羅紗でくるまれたものである。同女自身はもっと丈夫な鋼の鞘を別に作らせた。同女はさらに、捕えられた時はこの剣を身につけていなかったと述べ、手に入れて以後パリ攻撃を終えてサン・ドニを離れるまでは、常にこの剣を身につけていた、とつけ加えた。
この剣のためにどんな儀式を行わせたかと問うと、いかなる儀式を行っても、行わせてもいないし、そんなことは思い付かなかった、と答えた。同じく、同女はその剣がとても好きだったのは、自分の愛する聖女カトリーヌの教会で発見されたものだからだ、と答えた。

(中略)

剣を時々祭壇に飾ったことがあるかと問うと、少なくともその剣に運が開けるために飾ったことはないと思う、と答えた。
同女は剣に運が開けるように祈りをあげたことはないのか、と問うと、
「私の武具が運のいいように望むのは当然のことでしょう」と答えた。
捕虜になった時自分の剣を持っていたのかと問うと、その剣は持っておらず、ブルゴーニュ派の兵士から奪った剣を持っていた、と答えた。
自分の剣は一体どこの町に置いてきたのかと問うと、一振りの剣と甲冑をサン・ドニの教会に捧げたが、その剣ではなかった、と答えた。同じく、ラニーではその剣を持っていたが、ラニーからコンピエーニュに進む間はブルゴーニュ派の兵士の剣を身につけていた。これは戦闘には優れた剣で、突いたり打ち振るったりするのに便利なものだった、と述べた。自分の剣を紛失した場所について答えるかどうかは裁判に関係ないことだと、同女はその場では答えなかった。」
(ジャンヌ・ダルク処刑裁判1431年2月27日火曜日第四回審理より1(高山一彦(2015)『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』白水社、95-96頁)

消えた「フィエルボワの剣」

当然、その入手エピソードの神がかりさから、仕込みを疑う見解は強く存在している。もともと、ジャンヌ一行はヴォークルールからシノンへの道中でサント・カトリーヌ・ド・フィエルボワに滞在している。滞在時はスルーしてわざわざシノンに着いていざ出陣の準備を始めようという段階になって、実は剣が埋まっていて~となるのは確かに不自然である。とはいえ、その仕込みを証明することもまたできないのだが。そもそも、そんな小細工を弄することを、良くも悪くも純粋極まるジャンヌがよしとするようにも思えない。動機としてはジャンヌの権威付けとかいろいろもっともらしい想像もされているのだが、決め手に欠く。

聖女カトリーヌはジャンヌに聞こえていた声の主でもあり、ドンレミ村の守護聖人でもあり、さらにジャンヌの姉妹の名前でもあり、ジャンヌにとってはとても親しみ深く敬愛している存在である。ゆえに「とても好きだったのは、自分の愛する聖女カトリーヌの教会で発見されたものだからだ」との証言のとおりこの剣を愛剣としていた。

裁判官がこの剣で儀式を行ったか、剣を祭壇に飾ったか、運を祈ったか問うているのは、この剣を使って兵士に魔法を使ったのではないかと疑い言質を引き出そうとしているからであり、ジャンヌはその意図を見抜いて巧みにかわしていることが見て取れる。

もう一つにはこの剣がどうなったのか?の謎だが、これも謎に包まれている。どこかのタイミングで折れてしまったとする説が研究者の間では根強いが、その根拠の一つがアランソン公ジャン2世の証言として『サン=ドニの町で、彼女が剣を抜いて兵士たちと一緒にいる娘を激しく追いかけるのを見ましたが、途中で剣を折ってしまいました」(2ペルヌー、レジーヌ(2002)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』白水社、192頁)とある点だが、後述通り「ラニーではその剣を持っていた」との証言のように、サン=ドニに滞在していたのは1429年8月~9月のことなので、折ったのは別の剣だと思われる。また、証言のとおりサン=ドニの教会に一振りの剣と甲冑を捧げたようだ(3このとき捧げられたとされる甲冑と剣は現在は行方不明)。

ジャンヌの剣は他にヴォークルール出発時にロベール・ド・ボードリクールから貰った剣とブルゴーニュ騎士から奪った剣、他のブルゴーニュ人から甲冑と一緒に手に入れた剣の四本の剣の存在が確認されていて、イングランド軍に捕えられた時はブルゴーニュ騎士から奪った剣を身につけていた。一方で証言を読むとジャンヌは「自分の剣を紛失した場所について」と言っていて、折ったのではなく無くしたということをほのめかしているようにも見える。

この証言で「ラニーではその剣を持っていた」とあるが、ジャンヌが部隊を率いてシュリーからラニーに進軍したのが1430年4月初旬、同4月24日、ラニーでの戦闘を経て敵将フランケ・ダラスを捕らえ、サンリスへと向かう。5月13日、コンピエーニュへ入城、以後ショワジ、ソワソンと転戦して5月23日、コンピエーニュで捕虜となるという流れである。こう考えると、1430年4月初旬から24日までの間でフィエルボワの剣は姿を消したということになるのではないか。

伝説化する「フィエルボワの剣」

というわけで、なんだか不思議な経緯でなんだかすごそうな剣を手に入れていつの間にか行方が分からなくなった、というのがこの剣に関するとりあえずの落としどころであるが、コレット・ボーヌはこのフィエルボワの剣について、少し違った視点から考察している。すなわち、この「フィエルボワの剣」が後世、伝説化する過程についてである。

「この剣の起源はすぐさま作り話めいたものとなった。つまり、勇士や偉大な君主や王の時代の起源説であり、漠然とではあるがカロリング時代の叙事詩と結びつけられたのである。」(4ボーヌ、コレット(2014)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』昭和堂、224頁

十七世紀に登場したのはこの剣をカール・マルテルのものとした説だった。さらに、まことしやかにこの剣が折れたというエピソードが付け加えられ、ジャンヌの処刑への予兆として語られるようになり、折れた剣という類推から様々な伝説上の剣と結びつけられた。

「フィエルボワの剣」伝説に大きな影響を及ぼしたとされるのが、ジークフリート伝説である。ジャンヌがロレーヌ出身ということで地元の伝承でもあり、折れたバルムンクの剣がフィエルボワの剣の解釈に「特別な地位を与えてきた」(コレット・ボーヌP226)、という。折れたバルムンクの剣がワルキューレによって修復され、ジークフリートの妻クリームヒルトが剣を振るう、という展開は同じく女性としてフィエルボワの剣を振るうジャンヌとの類推がしやすかったようだ。

さらに、コレット・ボーヌは聖杯伝説の作品群の影響を指摘する。

「その剣は聖杯伝説に登場し、この世界でもっとも優れた三人の騎士(ボゥホート、パーシヴァル。ガラハッド)のためだけにある三本の剣の性格を受け継いでいる。石の階段の剣と同じく、ジャンヌの武器は地中に埋まっていた。それはこの世でもっともすぐれた騎士を指し示すのに用いられる。(中略)剣もないまま宮廷にやってきたばかりの青年ガラハッドが――ジャンヌと同じように――ただ一人それに成功する。」(5ボーヌ(2014)226頁

いわゆる選定の剣と同一視されるとともに、フィエルボワの剣を携えたジャンヌがシャルル7世を戴冠させる過程とエクスカリバーを抜いたアーサー王の戴冠とが類推された。さらに、折れた剣としてのフィエルボワの剣は、あらためてガラハッドによって修復された剣と重ね合わされ、剣の修復に成功したガラハッドから剣を受け取ったボゥホートは剣の破損という過ちを犯していたが剣の接合によって罪を償い、「ジャンヌは自分の武器の修復に成功しない」(6ボーヌ(2014)227頁)が、「軍旗のなかで、剣は天使の手のなかに姿をみせていた」(7ボーヌ(2014)227頁)点で「ただ純粋な剣の所持者」(8ボーヌ(2014)227頁)として救世主たる資格を得る。

伝承の中でキリスト教的な英雄伝説と重ね合わされつつ、やがてロマン主義的再発見を契機としたフランス・ナショナリズムの象徴としてジャンヌ・ダルクが再登場する下地を整えていたのである。

参考書籍

脚注

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