1337 |
5/24フィリップ6世、アキテーヌ公領の没収を宣言
7エドワード3世、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世との同盟を締結
10/7エドワード3世、議会を招集しフィリップ6世との封建関係解消を宣言
百年戦争勃発(~1453) |
1338 |
ウォルトン勅令(行政機構再編等イングランド戦時体制の確立) |
1339 |
1ヘント市民ヤーコブ・ファン・アルテフェルデ、フランドル総督へ選出される
2フランドル伯ルイ1世・ド・ヌヴェール、フランスへ再亡命
9イングランド軍、カンブレーを攻撃(百年戦争最初の戦闘)
12/3アルテフェルデ、エドワード3世へ臣従を表明 |
1340 |
1エドワード3世、ヘントに入りフランス王即位を宣言
6/24スロイスの海戦(英艦隊、仏艦隊をフランドル沖で壊滅させる)
9/25エスプルシャンの休戦(~1342) |
1341 |
3/15フィリップ6世、皇帝ルートヴィヒ4世との和平締結に成功
3/16フィリップ6世、戦費目的での増税(売上税・かまど税・塩税)の勅令発布
4ブルターニュ公ジャン3世没。
4/30ブルターニュ公弟ジャン・ド・モンフォール、ブルターニュ公を名乗る
6/2スコットランド王デイヴィッド2世帰国、対イングランド戦争準備
7エドワード3世、ジャン・ド・モンフォール支持を表明
9/7フィリップ6世、故ジャン3世の姪の夫シャルル・ド・ブロワの公位継承を命令
ブルターニュ継承戦争勃発(~1365) |
1342 |
夏、イングランド軍ブルターニュ遠征開始。フランス軍ブルターニュへ進軍 |
1343 |
1/19ブルターニュ継承戦争、教皇調停で休戦「マレトロワの休戦」(~45)
8フランス、三部会招集。
ノルマンディ貴族ジョフロワ・ダルクール反乱、イングランド亡命 |
1344 |
4/11ドーフィネ公、フランスへドーフィネ割譲で合意(後の王太子領)
エドワード3世、ブルターニュへ課税、代償金徴集 |
1345 |
7/17フランドル総督アルテフェルデ暗殺
9/26ジャン・ド・モンフォール没。エドワード3世、子のジャン4世の後見に
モンフォール派は未亡人ジャンヌ・ド・フランドルが指揮へ
7~12イングランド軍、ダービー伯をアキテーヌへ派遣し周辺を攻略 |
1346 |
2フランス、パリ・トゥルーズ三部会招集。
7/12エドワード3世率いるイングランド軍、コタンタン半島上陸。
7/31イングランド軍、カーン占領。
8/26クレシーの戦い(フランス軍、イングランド軍に大敗)
9/3イングランド軍、リュジニャン攻略
9/21イングランド軍、シャトーヌフ占領
9/29イングランド軍、サン・ジャン・ダンジェリ占領
10/17ネヴィルズ・クロスの戦い(イングランド軍がスコットランド軍を撃滅)
フランドル伯ルイ1世没。ルイ・ド・マル後継(ルイ2世) |
1347 |
5/7フィリップ6世、神聖ローマ皇帝カール4世同盟締結
6/20ラ・ロッシュ=デリアンの戦い(英軍、シャルル・ド・ブロワを捕縛)
パンチエーヴル派はジャンヌ・ド・パンチエーヴルが指揮へ(両ジャンヌの戦い)
8/4カレー、イングランドへ降伏
9/28英仏休戦(~1351、1355まで延長) |
1348 |
黒死病(ペスト)の蔓延
新フランドル伯ルイ・ド・マル、フランドル内乱を鎮圧し支配権確立
エドワード3世、ガーター騎士団創設(1344年説もあり) |
1349 |
12/6エヴルー伯シャルル、ナバラ王カルロス2世(悪人王)として即位 |
1350 |
8/22フィリップ6世没、ジャン2世(善良王)即位
12/23ジャン2世、カルロス2世が相続予定のアングレーム伯領を家臣へ与える |
1352 |
ジャン2世王女ジャンヌ、ナバラ王カルロス2世と結婚 |
1353 |
ブルボン公女ブランシュとカスティーリャ王ペドロ1世(残虐王)結婚 |
1354 |
1/8カルロス2世、シャルル・デスパーニュを暗殺。
2/22マント条約(ジャン2世、カルロス2世へ領地授与を約束)
カスティーリャ王国、ペドロ1世と異母弟エンリケ・デ・トラスタマラ間で内乱 |
1355 |
6/24休戦期間終了
9/20エドワード黒太子、アキテーヌ公領ボルドー上陸
10エドワード3世カレー上陸
12/9エドワード黒太子、南仏ラングドック侵入
マント条約不履行のためカルロス2世、イングランドと同盟締結 |
1356 |
4/5ナバラ王カルロス2世、ルーアンで逮捕される
6/22ランカスター伯ジョン・オブ・ゴーント、ノルマンディ上陸
7エドワード黒太子の騎行。ロワール川沿岸北上
9/19ポワティエの戦い(フランス軍、英軍に大敗。ジャン2世捕虜となる)
10/17バリ三部会招集。王太子シャルル(のちのシャルル5世)、国王代理に就任
11王太子シャルル、ノルマンディに侵攻
12王太子シャルル、神聖ローマ皇帝カール4世にドーフィネ領について臣従礼 |
1357 |
1パリで暴動
3/3三部会で王政改革の要望書提出される。
3/23教皇庁の仲介により英仏休戦締結(~1359)
5/14フランドル伯娘マルグリット、ブルゴーニュ公フィリップ1世と結婚
8/15王太子シャルル、三部会の改革派を解任
11/9カルロス2世、支持者によって解放される
11/29カルロス2世、パリ入市。フランス王位継承権を請求 |
1358 |
1第一次ロンドン協定(ジャン2世の身代金400万エキュ、領土割譲など)
2/22エティエンヌ・マルセルの乱
3/14王太子シャルル、摂政就任
3/21王太子シャルル派、パリ脱出、コンピエーニュへ
5/14コンピエーニュ勅令(パリ奪還用戦費の臨時課税)
5ジャックリーの乱(困窮農民による大規模蜂起)
6/10カルロス2世、ジャックリーの乱を鎮圧。
7/23エティエンヌ・マルセル暗殺
8/2王太子シャルル、パリ帰還
1358以降、野武士(ブリガント)がフランス各地で猛威をふるうようになる |
1359 |
3/24第二次ロンドン協定(カレー~バイヨンヌに至る沿岸地方割譲等)
5/19三部会でロンドン協定の条件を拒否
6フランス軍、カルロス2世が籠るムラン包囲
8ポントワーズ条約(ナバラ王とフランス王の和平条約)
10/28エドワード3世の遠征。フランス軍は不戦戦略をとる |
1360 |
5/8ブレティニ条約(18か月の休戦)
10/24カレー条約(身代金300万エキュ、エドワード3世のアキテーヌ支配権承認)
12/13ジャン2世帰国(身代金完済まで王族が交代で人質となる)
ジャン2世三男ベリー公ジャン、アルマニャック伯ジャン1世の娘ジャンヌと結婚
フォア伯ガストン3世とアルマニャック伯ジャン1世抗争(第一次南仏戦争~64) |
1361 |
11/21ブルゴーニュ公フィリップ1世没。ブルゴーニュ公領、王領へ編入 |
1362 |
7/19エドワード黒太子、アキテーヌ公となる
11/13ランカスター伯ジョン・オブ・ゴーント、公に陞爵
12/5ロナックの戦いでフォア伯軍、アルマニャック伯軍を撃破
王太子シャルル、ブルターニュ方面指揮官にベルトラン・デュ・ゲクランを任命 |
1363 |
9ジャン2世四男フィリップ、ブルゴーニュ公領授封(フィリップ2世)
9身代わりの人質として送還中のジャン2世二男アンジュー公ルイ、逃亡 |
1364 |
1/3ジャン2世、イングランドへ出発
1/12フォア伯ガストン3世、エドワード黒太子に臣従礼(フランスから離反)
4/8ジャン2世、捕虜のまま没
4/14サン・ヴュリュジアン和約(アルマニャック伯とフォア伯の対立終結)
5/16フィリップのブルゴーニュ公位継承に反対するカルロス2世、ゲクランに敗北
5/19シャルル5世(賢王)即位
7アンジュー公ルイ、ラングドック国王代行官就任
9/29オーレの戦い(モンフォール派勝利。シャルル・ド・ブロワ戦死)
ドーヴァー条約(フランドル伯娘マルグリットと英王子エドマンド婚約) |
1365 |
4/12ゲランド条約(ブルターニュ継承戦争終結)
教皇・フランスの働きかけによりドーヴァー条約の無効を決定 |
1366 |
1フランス王、カスティーリャ内乱にトラスタマラ側での介入を決定。ゲクラン遠征
カスティーリャ継承戦争勃発。(~1369)
9/23ペドロ1世、エドワード黒太子、カルロス2世が同盟締結(リブルヌ条約) |
1367 |
4/3ナヘラの戦い。黒太子軍、トラスタマラ軍を撃破(ゲクラン捕虜)
エドワード黒太子、疫病に罹りアキテーヌへ撤退 |
1368 |
1黒太子、アングレームで三部会招集、五年間の戸別税施行
6/30アルマニャック伯ジャン1世、黒太子の税制に反対しパリ高等法院へ上訴
10/8ゲクラン=トラスタマラ連合軍、カスティーリャ首都ブルゴスを奪還
11/6パリ高等法院、黒太子に対し翌年5月2日の出頭を命じる |
1369 |
3/14ゲクラン=トラスタマラ連合軍、モンティエールの戦いでペドロ1世軍に勝利
5/2エドワード黒太子、パリ高等法院へ出頭せず。
5/14ペドロ1世暗殺。カスティーリャ王エンリケ2世即位(トラスタマラ朝)
6/3エドワード3世、フランス王位請求権を主張。
11/30シャルル5世、アキテーヌ公領の没収を宣言。
フランドル女伯マルグリット、ブルゴーニュ公フィリップ2世と結婚 |
1370 |
春、黒太子・ランカスター公軍アキテーヌで軍事行動。
7~12イングランド軍、ガティネ地方劫掠。
9/19黒太子軍、リモージュ占領、住民虐殺。
10/2デュ・ゲクラン、フランス大元帥任命。
12/4ポンヴァランの戦い。デュ・ゲクラン軍、イングランド軍撃破。 |
1371 |
ヴェルノン条約(シャルル5世、カルロス2世と講和)
ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、故ペドロ1世娘コンスタンサと結婚 |
1372 |
シャルル5世、リムーザン、ポワトゥー奪還
6/23ラ・ロシェル沖の海戦(カスティーリャ艦隊、イングランド艦隊を撃滅)
7/7デュ・ゲクラン、ポワティエ入城、ガスコーニュ北部奪還 |
1373 |
3/21チゼの戦い(フランス軍、イングランド軍に勝利)
6/25~7/12ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの騎行
夏、デュ・ゲクラン、全ブルターニュ征服 |
1374 |
8シャルル5世、国王成年を十四歳とする王令発布
8/21デュ・ゲクラン=アンジュー公ルイ連合軍、ラ=レオル奪還
10シャルル5世、王太子が成年するまでの体制等死後の国政に関する王令発布 |
1375 |
7/1英仏休戦(~1377)
10領地相続を巡りフォア伯とアルマニャック伯の戦闘勃発(第二次南仏戦争~77) |
1376 |
6/8エドワード黒太子没 |
1377 |
6/21エドワード3世没、リチャード2世即位
7/17イングランド、国王未成年のため「継続評議会」指導体制成立
9/20教会大分裂 |
1378 |
3カルロス2世とイングランドの密約(カスティーリャ王フランス王暗殺計画)発覚
6デュ・ゲクラン軍、ナバラ王国のフランス側領土をすべて占領。ナバラ王太子捕虜
12/18シャルル5世、ブルターニュ公領の王領編入を宣言 |
1379 |
3ブリオレス条約(カルロス2世、シャンパーニュ・エヴルー伯領他全仏側領土喪失
ブルターニュで反フランス運動。
8/3ブルターニュ公ジャン4世、ブルターニュ上陸。シャルル5世撤退 |
1380 |
6/29アンジュー公ルイ1世、ナポリ王位継承権獲得
7/13ベルトラン・デュ・ゲクラン没
9/16シャルル5世没
11/4シャルル6世(親愛王/狂王)即位
11/16ベリー公ジャン、ラングドック国王代行官就任
11/30フランス、国王未成年のため四諸侯指導体制(叔伯政府)成立 |
1381 |
4/4第二次ゲランド条約(フランス=ブルターニュ公和平。ブルターニュ公国独立)
6/7イングランドでワット・タイラーの乱勃発
6ベリー公ジャン、ラングドック遠征
9/1南フランス、ラングドック全域で暴動(森の民一揆)
12/28ベリー公ジャンとフォア伯ガストン3世との和平締結(ラングドック平定) |
1382 |
1アンジュー公ルイ1世のシチリア遠征
2/27ルーアンで住民蜂起
3/1パリ市民暴動
5/3フランドル、ヘントの自治政府統領フィリップ・ファン・アルテフェルデ反乱
5/3ビーファハウツフェルツの戦い(アルテフェルデ軍、フランドル伯軍撃破)
7/27プロヴァンス女伯・ナポリ女王ジャンヌ1世没。アンジュー公ルイ1世が継承
11/27ローゼベッケの戦い(フィリップ・ファン・アルテフェルデ戦死)
夏、イングランド王リチャード2世、親政開始 |
1383 |
8羊毛貿易再開のためイングランド軍、フランドル侵攻。フランス、防衛軍派遣 |
1384 |
1/26英仏休戦(~1385)
1/30フランドル伯ルイ2世没。ブルゴーニュ公フィリップ2世、同伯位継承
9/20アンジュー公ルイ1世没。嫡子ルイ2世が継承 |
1385 |
4/12カンブレー二重結婚(ブルゴーニュ家と低地地方ヴィッテルスバハ家の婚姻)
6/1フランス軍、スコットランド軍と呼応してイングランド侵攻するも失敗
7/17シャルル6世、イザボー・ド・パヴィエールと結婚
8/14アルジュバロータの戦い(英=葡連合軍対仏=カスティーリャ連合軍の戦い)
8/28フランス軍フランドル占領
12/28トゥルネの和平。フランドル反乱終結
エドワード3世四男エドマンド・オブ・ラングリー、ヨーク公叙爵 |
1386 |
7/9ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、カスティーリャ遠征(~1387) |
1387 |
1/1ナバラ王カルロス2世没。カルロス3世(高貴王)即位
マーゲート海戦(イングランド軍、フランス=フランドル艦隊撃破) |
1388 |
11/3シャルル6世、親政開始
8/18英仏休戦 |
1389 |
6レウリンゲン休戦条約(英仏講和) |
1390 |
1/5フェルブュス条約(フランス王、フォア伯、アルマニャック伯の和平) |
1392 |
6/4シャルル6世弟ルイ、オルレアン公に叙爵
6/13フランス大元帥オリヴィエ・ド・クリッソン襲撃事件
8/5シャルル6世、ブルターニュ遠征途中で狂気の発作に見舞われ遠征中止 |
1393 |
2/28フランスで「野蛮人の舞踏会」開催 |
1396 |
3/9英仏間で1426年まで28年間の休戦条約が締結
3/12リチャード2世とシャルル6世王女イザベルが結婚
9/25ニコポリスの戦い(ブルゴーニュ公子ジャンら十字軍、オスマン軍に大敗) |
1397 |
リチャード2世、ブレストを放棄し対仏融和進める
7/10イングランドで有力諸侯の大規模粛清。リチャード2世の専制開始 |
1398 |
7/27ブルゴーニュ公主導で教皇庁からのフランス教会離脱(服従解除)を宣言 |
1399 |
2/8ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント没
3/18リチャード2世、ランカスター公領の没収を宣言
5リチャード2世、アイルランド遠征を開始
6-7月、追放中のランカスター公子ヘンリ、帰国し反乱
9/29リチャード2世廃位
9/30ヘンリ4世即位(ランカスター朝)
11/1ブルターニュ公ジャン4世没、ジャン5世後継
オルレアン公ルイ、ブルゴーニュ公の服従解除宣言を撤回(両派対立の開始) |
1400 |
9/16ウェールズでオワイン・グリンドゥールの反乱(~1412) |