ブルガリアの黒海沿岸にあるカリアクラ要塞で、ビザンティン帝国パレオロゴス王朝の一族で、これまで知られていなかった14世紀の貴族の墓を発見したと、ブルガリア国立歴史博物館が発表した。
この墓は、2004年からカリアクラ遺跡の発掘を指揮してきた同博物館のボニ・ペトルノバ准教授率いるチームによって発見された。これまでの発掘調査で、カリアクラ貴族の墓が数多く見つかっているが、パレオロゴス家に連なる人物の墓を発見したのは今回が初めてのこと。
発見された墓の主はゲオルギオス・パレオロゴスという人物。墓からは、彼の顔を覆う豪華な布やガラスの器など、豊富な埋葬品が見つかった。特に、ゲオルギオス・パレオロゴスの名前が入った大きな金の印環を発見し、これが身元を確認したと、博物館は伝えている。
この指輪はブルガリア皇帝カロヤン(在位1197~1207年)あるいは同名の十四世紀の子孫に由来する「カロヤン型」と呼ばれる形状だが、従来のカロヤン型より精巧なつくりで、中央に鳩の像、名前、ビザンティン皇帝家のモノグラムが刻まれた金製の指輪となっている。
この人物に関する他の歴史的記録はないが、14世紀半ばにカリアクラを首都としたドブルジャ専制侯国(“Despotate of Dobroudja”)の支配者バリクとドブロティツァの親族であった可能性があると考えられている。
発掘調査は2019年8月末まで続く予定。
ブルガリア・オフィシャル観光サイトによるとカリアクラはカヴァルナ市 (Kavarna) より南東へ12キロ離れた場所にある総面積68.75ヘクタールの建築遺跡・自然保護地帯で『考古学保護区「カリアクラ」』に指定されている。
『紀元前4世紀トラキアのティリジ族がここに住んでいたと初めて記録されていたことで、当時の岬はティリジスと呼ばれていました。トラキア人が作った城壁は後には強化され、さらにもう1本の防衛線が設置されました。都市は外町と内町がありました。最初の城壁は陸からの侵入を防ぐようになっていました。現存するものは高さ2メートル、長さ440メートルとなっています。外町では多くの建物跡が見つかっています。4世紀まで機能し続けた大きな浴場の跡は、保存状態が比較的良い状態で残っています。ドーム型のローマ墳墓も見事に保存されています。発掘調査で数個の教会も顕にされました。
「美しい岬」を意味するカリアクラの地名が初めて言及されるのは13~14世紀です。14世紀にブルガリア王国が3つの国家に分割されたとき、カリアクラは東の国家の中心地となり大きな国際港となります。』(『ブルガリア・オフィシャル観光サイト 考古学保護区「カリアクラ」』より)