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地理・地域・都市

アルビオン

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アルビオン(Albion)はグレート・ブリテン島の古名・別名。紀元前四世紀以前の文献に見え、古代ギリシアでアイルランド島と区別してグレートブリテン島を指す地名として使われ始めた。ローマ時代にブリソン諸語に由来する言葉”Pritanī”のラテン語化ブリタンニア(Britannia)/ブリタニア(Britania)という地名が定着したことで一般的に使われることは少なくなる。スコットランド・ゲール語のアルバ(Alba)やアイルランド語のアルバイン(Albain)などケルト諸語でブリテン島北部スコットランド地方を指す言葉に転じた。中世以降文学作品で改めて取り上げられるようになり、ブリテン島を指す文学的表現(雅名)として使われるようになった。

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語源

「アルビオン島とヒベルニア島および近隣諸島の地図、1654年、フランス国立図書館収蔵」

「アルビオン島とヒベルニア島および近隣諸島の地図、1654年、フランス国立図書館収蔵」
Insulae Albion et Hibernia cum minoribus adjacentibus,1654,
Bibliothèque nationale de France
Credit: Bibliothèque nationale de France, Public domain, via Wikimedia Commons

アルビオン(Albion)は古典ラテン語で「白」を意味する’Albus’を語源とするとみるのが有力だが、先印欧語で「山」を意味する*alb に由来するとする説もある(1albion | Etymology, origin and meaning of the name albion by etymonline)。イングランド南東部ドーヴァーの白い断崖(White Cliffs of Dover)を由来とするとみられ、ガリア語やウェールズ語で「世界・土地」を意味する語とも同義で、島全体を指していたと考えられている(2The name ‘Albion’ did not originally refer to the white cliffs of Dover. – word histories)。

ブリソン諸語に由来する言葉”Pritanī”を音訳したとみられるブリタンニア(Britannia)/ブリタニア(Britania)という呼称は紀元前四世紀頃の文献にみられるが、ユリウス・カエサルのブリテン島侵攻以後広く使われるようになり、西暦43年、ブリテン島南部がローマ帝国に征服されるとブリタンニアの名で属州が設置されたことでアルビオンの呼び名は廃れ、ブリタンニア(Britannia)/ブリタニア(Britania)という地名が定着した。一方、アルビオンという地名は、スコットランド・ゲール語のアルバ(Alba)やアイルランド語のアルバイン(Albain)などケルト諸語でブリテン島北部スコットランド地方を指す言葉に転じている。

「ドーヴァーの白い断崖」

「ドーヴァーの白い断崖」
Credit:Immanuel Giel, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

古名としてのアルビオンの浸透

アルビオンの名が初めて登場するブリテン島側の史料は八世紀、ノーサンブリア王国の修道士ベーダの著作「アングル人の教会史」である。第一巻冒頭の一文に「かつてはアルビオンと呼ばれていた大洋の島、ブリタニアはヨーロッパ大陸の北西にあり、大陸の主要な部分を占めているゲルマニア、ガリア、スペインとは離れて位置している」(3高橋博 訳(2008)『ベーダ英国民教会史』講談社、22頁)とある。

全イングランドを統一して初代イングランド王となったエセルスタン王(在位924年-939年)は、930年、より壮大なブリテン島全土の宗主権を主張して「ブリテン全土の王(rex tocius Britannie)」とあわせて「アルビオン王国全土の王にして第一人者(rex et primicerius totius Albionis regni)」の称号を採用し、エドガー平和王(在位959年-975年)も、974年、「アルビオン全土と近隣王国の皇帝(totius Albionis finitimorumque regum basileus)」の称号を勅許状で名乗っている(4England: Anglo-Saxon Royal Styles: 871–1066, Anglo-Saxon Royal Styles (9th–11th centuries), archontology.org.)。

アーサー王物語群の原典となった十一世紀の作家ジェフリー・オブ・モンマスによる偽史「ブリタニア列王史」(1138年)は「アングル人の教会史」や「ブリトン人の歴史」などを参照しつつブリタニア起源神話を創作、その中に古名としてのアルビオンを紹介した。「その当時は、この島の名はアルビオンといって少数の巨人族しか誰も住む者はいなかった」(第一巻十五章5ジェフリー・オヴ・モンマス(2007)『ブリタニア列王史 アーサー王ロマンス原拠の書』南雲堂フェニックス、33頁)として、アルビオン島と呼ばれた太古の昔、巨人族の島であったといい、ギリシア・ローマ神話のトロイア戦争の英雄アエネイアースの子アスカニウスの子孫ブルートゥスが故郷を追われて各地を冒険の旅に出た果てにアルビオン島に辿り着き、巨人族を駆逐してこの島をブリタニアと名付けたという。

「遂にブルートゥスはこの島を彼の名に因んでブリタニアと命名し、そして、そこに住む仲間たちをブリトン人と命名した。というのは、彼は自分の名前から派生した言葉をあてることで、後世の人びとに永遠に記憶されたいと思ったからである。」(第一巻十五章6ジェフリー・オヴ・モンマス(2007)『ブリタニア列王史 アーサー王ロマンス原拠の書』南雲堂フェニックス、33頁

以後、詩人ヴァースがフランス語(アングロ・ノルマン語)韻文にした「ブリュ物語」(1155年)、「ブリタニア列王史」「ブリュ物語」を元にラヤモンが中英語で著した「ブルート」(十三世紀初頭)など「ブリタニア列王史」は多くの作家に参照され、特にアーサー王物語群を初めとして多数の作品が生み出されてアルビオンの名も広く知られた。近世以降もウィリアム・キャムデンやラファエル・ホリンシェッドらを通じてイングランドの別名として知られ、ウィリアム・シェイクスピアも「リア王」でイングランド王国を指してアルビオン王国と呼んでいる(「リア王」第三幕第二場)。

参考文献

脚注