クノベリヌス(ラテン語”Cunobelinus”,西暦40年頃没)は一世紀前半、ブリテン島南東部の広い地域を支配したカトゥウェッラウニ族の王(在位:西暦9年頃-40年頃)。ローマ帝国の歴史家スエトニウスは「ブリトン人の王」と呼んだ(1Suetonius, Lives of the Twelve Caesars: Caligula 44-2)。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「シンベリン」の主要登場人物シンベリン王のモデルとされた人物である。
カトゥウェッラウニ族
カトゥウェッラウニ族はテムズ川以北、現在のセント・オールバンズ市にあたるウェルラミオンを首邑としハートフォードシャー、ベッドフォードシャー、ケンブリッジシャー南部にかけての一帯を支配した部族である。名前の類似からフランス・シャンパーニュ地方に勢力を持ったベルガエ人部族カタラウニ族と関係があるという説もあるがルーツは不明である(2Schön, Franz (2006). “Catalauni“. Brill’s New Pauly.)。
紀元前54年、ユリウス・カエサル率いる第二次ブリタンニア遠征でブリトン人諸部族を糾合してローマ軍に対抗したカッシウェッラウヌスもカトゥウェッラウニ族の指導者だったのではないかと言われるが定かではない。紀元前20年頃にウェルラミオンで貨幣を発行したタスキオウァヌス王が確認できる最も古いカトゥウェッラウニ族の指導者である。タスキオウァヌス王は、紀元前15年から紀元前10年の短い間だけ隣接するトリノウァンテス族の首邑であったカムロドゥノン(3ローマ時代の属州首都カムロドゥヌム、のちのコルチェスター市)で貨幣を発行していることから、勢力を拡大したが、その後はクノベリヌスの代まで貨幣の発行はウェルラミオンに限られることから征服は長く続かなかったとみられている(4ローマ帝国からの圧力で支配継続を断念したともいわれている(Penman, Giles (2021). “The Catuvellauni before Rome“. University of Warwick.)。)。
クノベリヌス王の治世
ローマ文化の受容
発掘された多くの貨幣からクノベリヌスは西暦9年頃、父タスキオウァヌス王に代わって王になったと考えられている。治世初期早々、カムロドゥノンで貨幣を発行していることから、タスキオウァヌス王の晩年からクノベリヌス王の初期にかけて再度トリノウァンテス族を攻めてカムロドゥノンを征服し、同地に造幣施設を築いたようである。
タスキオウァヌス王は貨幣にブリトン語で王を表すRIGONUSという称号を彫ったが、クノベリヌス王の貨幣にはラテン語で王を意味するREXの刻銘があるものが見つかっている(5ポター、ティモシー・ウィリアム「第一章 ブリテン島の変容――カエサルの遠征からボウディッカの反乱まで」(サルウェイ、ピーター(2011)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(1) ローマ帝国時代のブリテン島』慶應義塾大学出版会、29頁)。また、月桂冠などローマ文化の影響がある意匠の貨幣もあり、ローマ帝国との良好な関係が伺える。歴史家スエトニウスは著書「ローマ皇帝伝」でクノベリヌス王を「ブリトン人の王」と呼んだ(6Suetonius, Lives of the Twelve Caesars: Caligula 44-2)。
また、クノベリヌス王が発行した貨幣の中には大麦が描かれているものがあるが、ポターによれば『これはプロパガンダの一つと解釈されるだろう。つまり、ブリテン島のビールの品質と、それを飲むことの政治的な「正しさ」を擁護しているのである』(7ポター(2011)29頁)という。ローマ文化を受容して親交を深めつつも土地の産物を重視する政策を取るなどバランス感覚を持っていたことを示唆している。
トリノウァンテス族時代からタスキオウァヌス=クノベリヌス王時代にかけてのカムロドゥノン周辺からは「鎖帷子、鉄で覆われた胸当て、輸入された青銅製品、ブドウ酒や油を入れるイタリア製アンフォラが一五点、アウグストゥス帝をかたどった銀のメダル(前一七年のものと年代推定されている)」(8ポター(2011)30頁)などが見つかっており、考古学的観点からも紀元前一世紀から後一世紀頃のブリテン島南部と大陸との深い交流が見て取れる。
勢力の拡大
クノベリヌス王治世下、カトゥウェッラウニ族は周辺部族を次々と征服して傘下に加えていった。近隣のトリノウァンテス族、アトレバテス族、ドブンニ族の三部族とケント地方が勢力下におかれた。クノベリヌスの兄弟とみられるエパティクスは西暦20年代前半、アトレバテス族の領土に勢力を拡大し、25年頃、アトレバテス族の首邑カッレウァ・アトレバトゥム(9現在のシルチェスター市)を支配下に置き、貨幣を発行した。エパティクスは35年頃に亡くなるまでアトレバテス領を支配していたとみられる。
また、クノベリヌスにはアドミニウス、トゴドゥムス、カラタクスの三人の息子がおり、アドミニウスはカンティウム(現在のケント地方)を与えられ、トゴドゥムスはクノベリヌス死後の後継者で、カラタクスはエパティクスの支配領域を継いだ。
ローマ帝国侵攻前夜
クノベリヌスの最晩年にあたる西暦40年頃、突如息子アドミニウスを追放する。ブリテンを追われたアドミニウスはローマ帝国のカリグラ帝を頼り、アドミニウスの請願を受けてカリグラ帝もブリトン侵攻の準備を命じたが実施に至らなかった。
クノベリヌスは西暦40年頃に亡くなり、彼の子トゴドゥムスとカラタクスの二人が遺領を継承した。41~2年頃、アトレバテス族はカラタクスの圧迫によって自らの王ウェリカを追放したが、ウェリカ王はローマ帝国に逃れてクラウディウス帝に助けを求め、クラウディウス帝はアウルス・プラウティウスを総司令官として直ちに軍を編成させ、ブリテン島への侵攻を命じる。クノベリヌス王の死後すぐにカトゥウェッラウニ族の繁栄は終焉を迎えた。
創作上のクノベリヌス王
クノベリヌス王は後世に伝えられて様々な文献に取り上げられ、特にウィリアム・シェイクスピア作品のモチーフになったことで知られている。ジェフリー・オブ・モンマスが1138年頃に著した「ブリタニア列王史” Historia Regum Britanniae”」にキンベリヌス(Kymbelinus)として登場する。キンベリヌスはユリウス・カエサルのブリタニア侵攻に対抗したブリトン人の王カッシベラウヌス(Cassibellaunus)死後、王位を継承したカッシベラウヌスの甥テヌアンティウス(Tenuantius)の子で、ローマ皇帝アウグストゥスの宮廷で育ち10年間ブリタニアを統治したという(10Historia Regum Britanniae 4.11-12. ジェフリー・オヴ・モンマス(2007)『ブリタニア列王史 アーサー王ロマンス原拠の書』南雲堂フェニックス、105-106頁)。
キンベリヌスにはグウィデリウス(Guiderius)とアルウィラグス(Arviragus)の二人の息子がおり、死後、グウィデリウスが王位を継承したが、グウィデリウス王はローマへの納税を拒否したためクラウディウス帝の侵攻を招き、激しい戦いでグウィデリウス王は戦死した。弟アルウィラグスが王位を継いで抵抗を続け、後にクラウディウス帝に服従して帝の娘と結婚するかわりにローマ軍は撤退した。アルウィラグス王は厳正な統治を行い、後に再侵攻してきたウェスパシアヌスを撃退、ブリタニア王国は独立を守ることとなった(11Historia Regum Britanniae 4.12-16.ジェフリー・オヴ・モンマス(2007)105-109頁)。
イングランドの作家ラファエル・ホリンシェッドが1577年に著した「イングランド、スコットランド、アイルランドの年代記” Chronicles of England, Scotland and Ireland”」(通称「ホリンシェッド年代記” Holinshed’s Chronicles”」)に「テオマンティウスの子キンベリンまたはシンベリン(Kymbeline or Cimbeline the sonne of Theomantius)」として描かれている。記述は少なく、幼い頃ローマで育ちアウグストゥス帝によって騎士に叙されアウグストゥスの指揮下で戦いに参加したこと、アウグストゥス帝との関係は良好で皇帝へ税を納めるかどうかは彼の自由であったこと、イエス・キリスト誕生の33年前にブリテン王に即位し安定した治世が35年続いたこと、グイデリウス(Guiderius)とアルイラグス(Aruiragus)という二人の子供がいたことなどの記述がある(12Holinshed, Raphael.Chronicles: History of England Vol 3 Ch. 18)。
劇作家ウィリアム・シェイクスピアは多くの作品の題材を「ホリンシェッド年代記」に求めており、同書をはじめとする多くの記述を元にロマンス劇「シンベリン」(1610年代から上演)を書きあげた。ブリテン王シンベリンは先妻との間に生まれた王女イモージェンと再婚した王妃の連れ子クロートンとの婚姻を進めようとするがイモージェンにはすでに恋人がおり、家庭は不和に陥る。その渦中でローマ皇帝アウグストゥスとの関係が悪化してローマ軍の侵攻を招き、危機的状況の中で王女イモージェンや、かつて追放した二人の王子ら家族の関係が修復され、戦いも和睦へと向かい、最終的に大団円を迎える人気の物語となっている。
参考文献
- カエサル(1994)『ガリア戦記』講談社、講談社学術文庫
- サルウェイ、ピーター(2011)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(1) ローマ帝国時代のブリテン島』慶應義塾大学出版会
- シェイクスピア/松岡和子訳(2012)『シンベリン』筑摩書房、ちくま文庫、シェイクスピア全集
- ジェフリー・オヴ・モンマス(2007)『ブリタニア列王史 アーサー王ロマンス原拠の書』南雲堂フェニックス
- Penman, Giles (2021). “The Catuvellauni before Rome“. University of Warwick.
- Schön, Franz (2006). “Catalauni“. Brill’s New Pauly.
- Suetonius, The Lives of the Twelve Caesars at LacusCurtius
- The Project Gutenberg EBook of Chronicles (1 of 6): The Historie of England (3 of 8), by Raphael Holinshed. https://www.gutenberg.org/files/16511/16511-h/16511-h.htm