「アングル人の教会史」(ベーダの著作)
中世(ヨーロッパ)
フィリップ1世(フランス王)
フィリップ1世(Philippe 1er、1052年頃生- 1108年7月29/30日没)ははカペー朝四代目のフランク(フランス)王(在位1060年8月4日-1108年7月29/30日)。1059年5月23日、アンリ1世の共治王として戴冠、...
アンリ1世(フランス王)
アンリ1世(Henri 1er、1008年頃生-1060年8月4日没)はカペー朝三代目のフランク(フランス)王(在位1031年7月20日-1060年8月4日)。ロベール2世の次男で兄ユーグの死後、父の存命中にランスで共治王として戴冠した。し...
カドワラ(ウェセックス王)
カドワラ(Cædwalla)は七世紀後半のウェセックス王国を治めた君主。659年頃生。在位685/686-688年。若い頃、国を追われて放浪した後、685年または686年、前王ケントウィネの退位に伴い帰国して即位。無類の戦上手で二年余りの短...
ペンダ(マーシア王)
ペンダ(Penda)は七世紀、ブリテン島中部ミッドランズ地方を支配したマーシア王国の王。即位時期については議論がある。655年11月15日没。633年、グウィネズ王カドワソンと同盟を結びハットフィールド・チェイスの戦いでノーサンブリアのエド...
エゼルベルフト1世(ケント王)
エゼルベルフト(Æthelberht)はアングロ・サクソン諸王国の一つケント王国の王(在位:580年頃-616年)。エゼルベルト、エセルベルトとも。八世紀の同名のケント王と区別してエゼルベルフト1世と呼ばれる。フランク王国の王族ベルタとの結...
カドワソン・アプ・カドヴァン(グウィネズ王)
カドワソン・アプ・カドヴァン(Cadwallon ap Cadfan,またはカドワロン・アプ・カドファン)は七世紀前半、ウェールズ地方北部のグウィネズ王国を治めた王(在位625年頃-634年)。ノーサンブリアのエドウィン王に敗れて一時アイル...
カンタベリーの聖アウグスティヌス
カンタベリーの聖アウグスティヌス(ラテン語Augustinus,英語Saint Augustine of Canterbury)は六世紀、ローマ教会に所属していた修道士。597年、ローマ教皇グレゴリウス1世の命でアングロ・サクソン人へキリス...
エアルドールマン
エアルドールマン(古英語:Ealdorman,英語:Alderman)は中世前期のイングランドにアングロ・サクソン人が立てた諸王国で王家に次ぐ地方領主・豪族の首長や戦時の指導者を指して使われた人々の名称で、九世紀にイングランドのアングロ・サ...
ウィンウェドの戦い(655年)
ウィンウェドの戦い(Battle of the Winwaed)は655年11月15日、マーシア王ペンダ率いる諸国連合軍とバーニシア王オスウィウ(オズウィ)の間で戦われオスウィウ王が勝利した戦い。ペンダ王始め多くの君主諸侯が戦死した。戦後ノ...
ハットフィールド・チェイスの戦い(633年)
ハットフィールド・チェイスの戦い(Battle of Hatfield Chase)は633年10月12日、サウスヨークシャーのドンカスター近郊のハットフィールド村あるいはノッティンガムシャーのカックニー近郊でノーサンブリアのエドウィン王が...
キュネギリス(ウェセックス王)
キュネギリス(Cynegils)は七世紀初頭のウェスト・サクソン(ゲウィッセ)の王(在位611-642年頃?)。626年から636年の間息子または弟のクウィッチェルムと共同王であったとみられる。キリスト教へ改宗した最初のウェセックス王で、宣...
ゴドジン王国
ゴドジン王国(Kingdom of Gododdin)は現在のスコットランド南東部ロージアン地方に六世紀頃存在したブリトン人の王国。首都はエディンバラ。アングル人勢力の拡大によって劣勢となり600年頃カトラエスの戦いの大敗で衰退、638年、...
チェウリン(ウェセックス王)
チェウリン(Ceawlin)は三代目のウェセックス王(在位560-591/592年)。後にウェセックス王国となるゲウィッセ族の勢力を拡大し、ブリテン島に覇権を確立した八人のブレトワルダの一人に数えられる。 初期のウェセックス王国 大陸からブ...
キンリッチ(ウェセックス王)
キンリッチ(Cynric)は第二代ウェセックス王(在位534-560年)。父または祖父のチェアディッチとともにブリテン島へ上陸、ウェセックス王国を建国したと伝えられている。 事績 キンリッチは495年、チェアディッチとともに五隻の船団を率い...
ウィタン(賢人会)
ウィタン(Witan)またはウィテナイェモート(Witenagemot)は中世イングランドにおいてアングロ・サクソン諸王国の君主が招集した評議会および評議会を構成する顧問のこと。賢人会、賢人とも訳される。エアルドールマンやセインと呼ばれる有...
エゼルベルフト法典
エゼルベルフト法典(Law of Æthelberht)は六世紀末頃にケント王エゼルベルフトが編纂したとされる法典。ゲルマン部族法典の一つに位置づけられるが同時代に編纂された諸法典がラテン語で書かれたのに対し、古英語で書かれている点が特徴で...
「タラ・ブローチ」
「タラ・ブローチ」(Tara Brooch)は七世紀後半から八世紀初頭、アイルランドで制作されたブローチ。円環部分と長い留め金ピンから構成される島嶼芸術(Insular art)特有の準環状ブローチで、精巧な金線細工(filigree)が施...
「アーダーの聖杯」
「アーダーの聖杯(Ardagh Chalice)」は八世紀半ば頃に制作された、聖杯(Chalice)としてカトリック教会の典礼で使われたとみられる銀製の杯。1868年、アイルランド南西部リムリック県アーダーのじゃがいも畑で四つのブローチや銅...
「ブリトン人の歴史」
「ブリトン人の歴史」(ラテン語:Historia Brittonum)は九世紀初め、北ウェールズでまとめられた歴史書。ラテン語で書かれ、修道士ネンニウスによる校訂本が残ることからネンニウスが著者と考えられてきたが、現在はネンニウス以前に原本...
「ブリタニアの破壊と征服について」(ギルダスの著作)
「ブリタニアの破壊と征服について(ラテン語: De Excidio et Conquestu Britanniae,英語: On the Ruin and Conquest of Britain)」、通称「ブリテンの荒廃について(On th...
ノーサンブリア王国
ノーサンブリア王国(Kingdom of Northumbria)はハンバー川以北、現在のイングランド北部からスコットランド南部にかけて存在したアングロ・サクソン系王国の一つ。ノーサンブリアとはハンバー川の北の人々を指す古英語に由来し八世紀...