ルイ1世・ド・ブルボン(ヴァンドーム伯)

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ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン(” Louis I de Bourbon-Vendôme”,1376年生-1446年12月21日没)はブルボン家の傍流ブルボン=ヴァンドーム家初代。アジャンクールの戦いでは左翼軍の指揮を執った。「フランス王宮長」(在任1413-15,1425-1446)。ジャンヌ・ダルクの戦友の一人として知られ、ブルボン王家の直系の祖にあたる。

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アルマニャック派の中心メンバーとして

年齢が近いこともあり、フランス王シャルル6世の弟オルレアン公ルイ(1372-1407)の友人で、1407年のブルゴーニュ公ジャン無怖公(1371-1419)によるオルレアン公ルイ暗殺後、反ブルゴーニュ派諸侯が結成するアルマニャック派に参加した。

1415年10月25日、ヘンリ5世率いるイングランド軍の侵攻によって起きた会戦アジャンクールの戦いでは左翼軍の指揮を執り、イングランド軍の捕虜となる。虜囚生活を経て解放されシャルル7世政権に参加。1423年のクラヴァンの戦いで再び捕虜となった。解放後、王家役人の人事に責任を持つ、いわゆる内務大臣のような業務を担う重要閣僚「フランス王宮長(Grand maître de l’Hôtel du roi / Grand maître de France)」(在任1425-1446)に任じられた(1Grand maître de l’Hôtel du roi / Grand maître de Franceの訳語は定訳が無いので上田耕造(2014)『ブルボン公とフランス国王―中世後期フランスにおける諸侯と王権』晃洋書房を参照して「フランス王宮長」とした)。

ジャンヌ・ダルクの戦友として

1429年3月6日、シノン城大広間でジャンヌ・ダルクがシャルル7世に拝謁し、人々の間に隠れるシャルル7世を一目で見つけ、二人だけの会談で信頼を得るが、このときジャンヌを大広間まで案内したのがヴァンドーム伯であった。

以後多くの戦いでジャンヌとともに戦い、ジャンヌの最末期の戦いにも大きくかかわっている。1430年5月14日、ジャンヌ・ダルク部隊とヴァンドーム伯部隊はブルゴーニュ軍が迫るコンピエーニュに入城、5月16日、両者は迫るブルゴーニュ軍の後背を叩くべくコンピエーニュを出陣し、ソワソンへ向かった。ところがソワソンの守備隊長はブルゴーニュ軍の脅威を恐れて両軍の入城を拒否する。ここで一旦サンリスへ転進しようというヴァンドーム伯とコンピエーニュへ戻ろうというジャンヌで意見が分かれ、二人は別行動をとることになった。コンピエーニュへ戻ったジャンヌは、5月24日、ブルゴーニュ軍の攻勢によって捕虜となり、彼女の戦いが終わる。ヴァンドーム伯ルイ1世はジャンヌ・ダルクを歴史の表舞台へと迎え入れ送り出す、象徴的な役割を担った人物となった。

ブルボン王家の祖

ジャンヌ・ダルク死後の1431年、ブーサック元帥とともにコンピエーニュ解放に成功し、1435年にはアラス会議の代表団の一人としてアラスの和約締結に尽力した。内政・外交・軍事と多方面で活躍し、不遇な時代のシャルル7世政権を支えた稀有な人材であった。

1414年、ブランシュ・ド・ルーシーと結婚するがその直後アジャンクールの戦いで捕虜となり1421年に死別。1424年頃に再婚したジャンヌ・ド・ラヴァル(1405-1408)との間に長女カトリーヌ、次女ガブリエル、嫡男ジャン(ヴァンドーム伯ジャン8世)がいる。

ブルボン=ヴァンドーム家は、初代ブルボン公ルイ1世の次男ラ・マルシュ伯ジャック1世の子ジャン1世がヴァンドーム女伯カトリーヌと結婚し、1393年、次男であるルイがヴァンドーム伯位を継承したことに始まる。以後ブルボン=ヴァンドーム家はブルボン本家と距離を置いてフランス王家直臣として貢献し、1514年、曾孫のシャルル1世の代に公へ陞爵、1527年、ブルボン公家が断絶するとヴァンドーム家がブルボン当主家となり、1589年、初代ヴァンドーム伯ルイ1世から数えて六代目直系の来孫であるヴァンドーム公アンリがフランス王に即位したことでブルボン王朝が始まることとなる。

中世ブルボン家略系図

中世ブルボン家略系図

シャルトル大聖堂のヴァンドーム礼拝堂

1413年、ヴァンドーム伯ルイ1世は世界遺産にも登録されているシャルトルのノートルダム大聖堂(シャルトル大聖堂)の傍にヴァンドーム礼拝堂を建設した。同礼拝堂はブルボン一族を描いた壮麗なステンドグラスで知られるが、同礼拝堂はフランス革命で破壊され、現在のステンドグラスは1920年につくられたもの。

ヴァンドーム礼拝堂のステンドグラスにあるヴァンドーム伯ルイ1世(左)と最初の妻ブランシュ・ド・ルーシーの肖像(パブリックドメイン画像)

ヴァンドーム礼拝堂のステンドグラスにあるヴァンドーム伯ルイ1世(左)と最初の妻ブランシュ・ド・ルーシーの肖像(パブリックドメイン画像)

参考文献

脚注