ジッグラト

「ジッグラト”Ziggurat”」または「ジックラト”Ziqqurat”」(アッカド語ジックラトゥ” ziqquratu”)は古代メソポタミアで都市の中心となる聖域に建てられた複数層からなる宗教的建造物のこと。「高きこと」あるいは「頂上」を意味するアッカド語に由来し(1「ジックラト」(日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 3 事典 シ-ワ』岩波書店))、シュメール語ではウニル” U₆.NIR”(2unir [ZIGGURAT] (N)“Oracc:Open Richly Annotated Cuneiform Corpus)と呼ばれ、日本語訳の際は「聖塔」の語があてられることが多い。

ジッグラトの誕生

アヌのジッグラト© tobeytravels,

アヌのジッグラト© tobeytravels, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

人類初の都市文明が生まれたメソポタミアで都市が形成され始めたのは前3500年頃で、これらの都市は都市神を祀る神殿を含む聖域を中心として発展し、やがてシュメール人による多数の都市国家が分立する初期王朝時代(前2900-前2335年)を迎えた。これら都市国家の聖域に神殿とともに築かれたのがジッグラトである。小林(2005)によればジッグラトは「天に通じる階段で、頂上の神殿は神々に近づける場所であるとする考え方が広く受け入れられている」(3小林登志子(2005)『シュメル――人類最古の文明』中央公論新社、261頁)という。

ジッグラトの祖型とみられている例が前4千年紀後半、ウルクの天空神アヌの聖域に築かれた上に白い漆喰で塗られた神殿「白神殿」の土台となった高さ9-13メートル(4小川英雄(2011)『発掘された古代オリエント』リトン、46頁)の基壇、通称「アヌのジッグラト」である。「白神殿」の建築年代は放射性炭素年代測定で紀元前3517-前3358年との調査結果があるが、土台となる「アヌのジッグラト」は少なくとも10回の工事が繰り返されて高さが盛られたとみられている(5The White Temple“,Artefacts — Scientific Illustration & Archaeological Reconstruction)。

ウルの大ジグラット「エ・テメン・ニ・グル」

前2100年頃ウルナンム王によって築かれたウルのジッグラトの部分的復元

前2100年頃ウルナンム王によって築かれたウルのジッグラトの部分的復元 < /br>© Hardnfast, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

小川英雄(2011)によればジッグラトの「最も古い資料は、ウルク期の円筒印章に描かれたもの」(6小川英雄(2011)『発掘された古代オリエント』リトン、50頁)であるという。メソポタミアでジグラットが多く築かれるようになるのが前2100-2000年代、ウル第三王朝時代である。この時期の代表的なジグラットであるウルの大ジグラット「エ・テメン・ニ・グル(シュメール” é-temen-ní-gùru”英語” Etemenniguru”)」は初期王朝時代にウルの都市神ナンナ神の聖域に築かれたものをウル第三王朝初代ウルナンム王が修復・再建させた三層のジグラットで、基底部は62.5×43メートル、高さ21メートル、「粗製の日乾煉瓦を積んで核とし、外面から2m余の厚さに焼成煉瓦を積んで被覆とする」(7「ジックラト」(日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 3 事典 シ-ワ』岩波書店)構造になっている。

メソポタミアに統一王朝を打ち立てたウルナンム王によって同様のジッグラトがエリドゥ、ウルク、ニップルの各都市に築かれ、「ウルナンム様式」(8日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 1 総論・付編』岩波書店、177頁)とされる特徴的な階段状の基壇を持つジッグラトの造形様式が確立された(9「ジックラト」(日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 3 事典 シ-ワ』岩波書店)。

代表的なジッグラト

その他、代表的なジグラットとして現在のバグダードの西にあるカッシート朝時代の前14世紀頃に築かれた「ドゥル・クリガルズ” Dur-Kurigalzu”」、新バビロニア王国時代の前7世紀に再建されたバビロンの「エ・テメン・アン・キ” É.TEMEN.AN.KI”」、現在のイラン・フーゼスターン州にある中期エラム王国の首都アール・ウンタシュ・ナビリシャ遺跡に築かれた「チョガー・ザンビール” Chogha Zanbil”」などが知られるが、ジッグラトと推定される遺跡は30か所弱、考古学的に裏付けられる遺跡は20か所に満たない。

ロバート・コルデヴァイ(Robert Koldewey)による「エ・テメン・アン・キ」とマルドゥク神殿復元図(ベルリン、ドイツ・オリエント協会文庫蔵)

ロバート・コルデヴァイ(Robert Koldewey)による「エ・テメン・アン・キ」とマルドゥク神殿復元図(ベルリン、ドイツ・オリエント協会文庫蔵、1919年) , Public domain, via Wikimedia Commons

「ドゥル・クリガルズ” Dur-Kurigalzu”」

「ドゥル・クリガルズ” Dur-Kurigalzu”」(2010年3月11日、米軍による撮影), CC0, via Wikimedia Commons

「チョガー・ザンビール” Chogha Zanbil”」

「チョガー・ザンビール” Chogha Zanbil”」© Carole Raddato from FRANKFURT, Germany, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

バベルの塔

ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」(オーストリア、美術史美術館蔵)

ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」(オーストリア、美術史美術館蔵)

バビロンのジグラット「エ・テメン・アン・キ」が旧約聖書の創世記に描かれる「バベルの塔」のモデルとなったと考えられている(10小林(2005)261頁)。

「彼らは、『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」(「創世記」11:3-4, 新共同訳聖書)

参考文献

脚注

Kousyou

「Call of History - 歴史の呼び声 -」主宰者。世界史全般、主に中世英仏関係史や近世の欧州・日本の社会史に興味があります。

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