2021年12月14日
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セント・ジョージのマスター・ジェイムズ

セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Saint George ”,1230頃~1309)はサヴォワ地方(現在のフランスとスイスの国境付近)出身、石工の家に生まれ、サヴォワ伯フィリップ1世の下で多くの城を築いたあと、イングランド王エドワード1世に招かれて征服したばかりのウェールズ地方に次々と築城した。イングランド王国によるウェールズ支配の拠点城塞網「アイアンリング」の異名で知られる堅城揃いで、そのうちカーナーヴォン城コンウィ城、ハーレック城、ビューマリス城は世界遺産『グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁』に登録され、日本城郭協会選「ヨーロッパ百名城」にもカーナーヴォン、コンウィ、ハーレックの三城が選ばれている(1ヨーロッパ100名城(公益財団法人日本城郭協会))。

エドワード1世からの招聘

サヴォワで彼の仕事として知られているのは1270年から75年にかけて築かれたサン=ゲオルギオス=デスプランチェ、ラ=コート=サン=アンドレ、ヴォイロン、サン=ローラン=デュポンの四つの城である。この他、ラ・バティアズ城の保管室(Garderobe)、シヨン城の窓なども彼の仕事で、1275年のアルジェント城を最後に1277年頃イングランドへ移った。

1282年、熾烈な戦いを経てウェールズ地方を征服したエドワード1世だったが、ウェールズ人の不満はくすぶっており、いつまた大規模な蜂起が起こるかわからない、予断を許さぬ状況であった。そこで王はすでに築城技術者として高い名声を得ていたマスター・ジェイムズを招聘してウェールズ地方の支配を盤石なものとする城塞網を築かせた。

ウェールズの城塞網築城

エドワード1世が築城・修復・再建したウェールズの城は17城あり、わかっている限りでアベリストウィス城(Aberystwyth Castle)、カーナーヴォン城(Caernarfon Castle)、コンウィ城(Conwy Castle)、ハーレック城(Harlech Castle)、ビューマリス城(Beaumaris Castle)、ビルス城(Builth Castle)、フリント城(Flint Castle)、ルズラン城(Rhuddlan Castle)の築城、クリキエス城(Criccieth Castle)、ケアグール城(Caergwrle Castle)の修復、デンビー城と市壁(Denbigh Castle and town walls)の再建がマスター・ジェイムズの指揮下で行われた。

築城期間を見ると、アベリストウィス城(1277~82)、ビルス城(1277~82)、ルズラン城(1277~82)、フリント城(1277~84)、ハーレック城(1282~89、1283より前任者から引き継ぎ)、コンウィ城(1283~87)、カーナーヴォン城(1283~84)、ビューマリス城(1295~存命中は未完。1330頃完成)というように彼は順番に建てたのではなく、いくつかの城を同時進行で築城していた。しかも、非常に完成度が高く高度な防御設備が整っており、いずれも名城として知られる。

「ビューマリス城のマスター・ジェイムズ像」

「ビューマリス城のマスター・ジェイムズ像」
AJ Marshall, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

「アイアンリング・オブ・キャッスルズ」

「アイアンリング・オブ・キャッスルズ」
1-フリント城(Flint Castle) 2-ハワーデン城(Hawarden Castle) 3-ルズラン城(Rhuddlan Castle) 4-ビルス城(Builth Castle) 5-アベリストウィス城(Aberystwyth Castle) 6-デンビー城(Denbigh Castle) 7-カーナーヴォン城(Caernarfon Castle) 8-コンウィ城(Conwy Castle) 9-ハーレック城(Harlech Castle) 10- ビューマリス城(Beaumaris Castle)
© Eggishorn, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

『エドワードの城塞群はブリテン諸島で建設されたなかで最も先進的で強力なものだった。設計者であるマスター・ジェイムズは設計に新しい工夫を多く取り入れた。そのなかには彼の故郷だけでなく他の地方で見てきたものもあった。たとえば、多重環状城壁の配置で、城門を一直線に並べないことである。錘を使った跳ね橋、プリンス、そして2方向への矢狭間を備えた射撃用アンブラジュールまでも使用された。』(カウフマン107-109頁)

特に最も短期間で築城されたカーナーヴォン城は難攻不落を誇ったが、それは少数で効率的に防衛が可能な構造によるところが大きく、1401年、オワイン・グリンドゥール(Owain Glyndŵr)の大反乱の際にも他のアイアンリングの諸城が次々陥落するなか少数の守備隊で幾度となく敵を跳ね返したのは多角形平面の城塔を歩廊が通って、城壁のどこに取りつかれても、矢狭間と殺人孔を駆使してこれを阻止できる構造になっていたからであった。

その後、スコットランドでも1302年、エドワード1世に呼ばれてリンリスゴー宮殿(Linlithgow Palac)の城壁の建設を監督し、1304年のスターリング包囲でも働いている。その築城技術ゆえにエドワード1世に重用され、歴史に残る名城を次々と築いて、後世「中世のヨーロッパにおける最も偉大な建築家の一人”one of the greatest architects of the European Middle Ages”」(2Morris, Marc. 2012. Castle. London: Windmill Books. 120.(Wikipedia contributors, ‘James of Saint George’, Wikipedia, The Free Encyclopedia, 2 November 2021, 09:52 UTC, https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=James_of_Saint_George&oldid=1053169668 [accessed 30 December 2021]))と讃えられた。

「河口に建つカーナーヴォン城」 © Kadpot, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

「河口に建つカーナーヴォン城」
© Kadpot, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

コンウィ城 credit:Cadw, OGL v1.0 , via Wikimedia Commons

コンウィ城
credit:Cadw, OGL v1.0 , via Wikimedia Commons

参考文献

脚注

Kousyou

「Call of History - 歴史の呼び声 -」主宰者。世界史全般、主に中世英仏関係史や近世の欧州・日本の社会史に興味があります。

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ブリテン諸島史
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