ローマン・ブリテン年表

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グレートブリテン島の大部分がローマ帝国の占領下にあった時代「ローマン・ブリテン(Roman Britain)」の年表。

ローマン・ブリテン年表
西暦 できごと
前55年 第一次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻
前54年 第二次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻カッシウェッラウヌス王、ローマ軍に降伏
前51年頃 アトレバテス族コンミウス王、ブリテン島へ逃亡
前30年頃 コンミウス王、カッレウァ・アトレバトゥム(現在のシルチェスター市)を首邑としてハンプシャー州周辺にアトレバテス族の支配を確立
西暦25年頃 カトゥウェッラウニ族クノベリヌス王、この頃までに近隣のトリノウァンテス族アトレバテス族などを征服しブリテン島南部を支配下に置く
40年頃 クノベリヌス王没
41年/42年 アトレバテス族のウェリカ王、ローマへ亡命しローマ皇帝クラウディウスへ救援を求める
43年 クラウディウス帝のブリタニア遠征
ローマ属州ブリタンニア設置、初代総督にアウルス・プラウティウス就任
47年 初代属州総督アウルス・プラウティウス退任、第二代総督にプブリウス・オストリウス・スカプラ就任
47-50年 ロンディニウム(後のロンドン)建設
49年 カムロドゥノンに置かれた要塞が撤収され新たに属州の首府となるカムロドゥヌム(コルチェスター)が建設される
49-51年 領土を追われたカトゥウェッラウニ族カラタクス王、ウェールズ地方のシルレス族、オルドウィケス族と協力しローマへ抵抗
51年 カラタクス王率いる反ローマ連合軍、ローマ軍に破れ、ブリガンテス族の女王カルティマンドゥアに囚われたカラタクス王ローマへ移送
52-58年 ローマ軍によるウェールズ地方征服戦争
52年 アウルス・ディディウス・ガルスが属州総督に就任(-57年)
57年 クイントゥス・ウェラニウスが属州総督に就任(-57年)
58年 ガイウス・スエトニウス・パウリヌスが属州総督に就任(-62年)
60年 パウリヌス総督率いるローマ軍、アングルシー島侵攻
60/61年 イケニ族の女王ボウディッカの反乱
60-70年頃 バースのローマ式大浴場(Roman Baths)の中心となる神殿が建設される。浴場施設は以後三世紀かけて徐々に整備された
61/62年 プブリウス・ペトロニウス・トゥルピリアヌスが属州総督に就任(-63年)
63年 マルクス・トレベッリウス・マクシムスが属州総督に就任(-69年)
66/67年 第十四軍団ゲミナ、ブリテン島から撤退
68-69年 ローマ帝国の内戦「四皇帝の年」によりブリテン島統治不安定化
69-71年頃 マルクス・ウェッティウス・ボラヌスが属州総督に就任
69年頃 「四皇帝の年」の混乱を背景に親ローマ派のブリガンテス族女王カルティマンドゥアが反ローマ派の元夫ウェヌティウスにより失脚
71年 クイントゥス・ペティッリウス・ケリアヌスが属州総督に就任(-73年または74年)
ケリアヌス総督、ウェヌティウス王支配下のブリガンテス族を討伐し服従させる
73/74年 セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスが属州総督に就任(-77/78年)
74/75年 フロンティヌス総督によりウェールズ南部のシルレス族征服が完了、ローマ軍の駐留基地イスカ・アウグスタ(後のカーリオン市)建設
75-80年頃 チチェスター近郊フィッシュボーンのローマ式宮殿(Fishbourne Roman Palace)造営
77/78年 グナエウス・ユリウス・アグリコラが属州総督に就任(-84/85年)
就任直後、ウェールズ北部のオルドウィケス族を討伐し服従させる
79-84年 アグリコラ総督のブリテン島北部遠征
モンス・グラウピウスの戦い(84年頃)
一世紀末 リンドゥム(リンカン)とネルウァ・グレウェンシウム(グロスター)が植民市(コロニア)となる
97/98年 ティトゥス・アウィディウス・クイエトゥスが属州総督に就任(-100/101年)
100年頃 スコットランドの占領地が放棄されタイン=ソルウェー線が国境線になる
108-130年 この間のある時期、エボラクム(ヨーク)に駐屯していた第九軍団ヒスパナがブリテン島から撤退
117-138年 この間のある時期、ロンディニウム(ロンドン)で大火
118年 クイントゥス・ポンペイウス・ファルコが属州総督に就任(-122年)
119年頃 第六軍団ウィクトリウスがブリテン島駐屯開始
122年 ハドリアヌス帝、ブリテン島訪問
ハドリアヌスの長城建設開始、第六軍団が建設に従事
アウルス・プラトリウス・ネポスが属州総督に就任(-124年)
138/139年 クイントゥス・ロッリウス・ウルビクスが属州総督に就任(-142/143年)
140-143年 アントニヌス・ピウス帝、ウルビクス総督にスコットランド地方への侵攻を命じる
142/143年 アントニヌスの長城建設開始。154年頃完成
150-160年代 ブリテン島東北部で乱。160年代始めまでにアントニヌスの長城を放棄しハドリアヌスの長城まで北辺を後退させる
185年頃 プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクス(後の皇帝ペルナティクス)が属州総督に就任(-187年頃)
190-230年 ロンディニウムに市壁が築かれる
192年頃 デキムス・クロディウス・アルビヌスが属州総督に就任
193年 クロディウス・アルビヌス総督、ローマ帝国の内戦に際してセプティミウス・セウェルス帝と同盟、副帝となる
196-197年 196年、クロディウス・アルビヌスが皇帝即位を宣言するが、197年、ルグドゥヌム(リヨン)の戦いでセプティミウス・セウェルス帝に敗れ死亡
197年 ウィリウス・ルプスが属州総督に就任(-200年頃)
197-200年頃 ルプス総督、ローマ北辺で争っていたマエアタエ族に対し金銭の支払いと引き換えに講和条約を締結
205年 ハドリアヌスの長城修復工事開始
208年 セプティミウス・セウェルス帝のブリタニア遠征
211年 セプティミウス・セウェルス帝、エボラクム(ヨーク市)で死去、随行していた長男カラカラが皇帝に即位
211-213年 この間のある時期までに上ブリタンニア属州と下ブリタンニア属州に二分割される
212年 カラカラ帝、カレドニイ族と講和しブリテン島から撤退
235年 エボラクム(ヨーク)、植民市に昇格し下ブリタンニア属州の州都となる
255-270年 ロンディニウム(ロンドン)のテムズ川河畔に防壁が築かれる
260-274年 ガリア帝国(260-274年)の成立にともない属州ブリタンニアはガリア帝国の支配下となる
274年 ガリア帝国の滅亡にともないローマ帝国へ再編入される
278年 氏名不詳の属州総督が反乱、鎮圧される
282-285年 マルクス・アウレリウス・カルス帝即位に伴い副帝となった息子のカリヌス帝の支配下となる
287-293年 英仏海峡で海賊討伐に功あった将軍カラウシウスが皇帝を称しブリテン島とフランス北部を支配下に置く(カラウシウスの乱)
293-296年 カラウシウス死後、ブリテン島は後継者アッレクトゥスの支配下となる
293年 ディオクレティアヌス帝によりローマ帝国はテトラルキア(四分統治体制)に移行
296年 西ローマ帝国副帝コンスタンティウス1世によりアッレクトゥスが討たれブリテン島は再征服される
ブリタンニア・プリマ、プリタンニア・セクンダ、フラウィア・カエサリエンシス、ガレリア・カエサリエンシスの四属州に分割
297年頃 コンスタンティウス1世勝利を称える称讃文(Panegyric)に初めてピクト人という名称が登場
306年 コンスタンティウス1世、ピクト人討伐のためスコットランドへ遠征するがエボラクム(ヨーク)で陣没
コンスタンティヌス1世、エボラクム(ヨーク)で即位
314年 アルル教会会議にブリテン島から司教が出席
337年 ブリテン島、コンスタンティヌス1世死後跡を継いだコンスタンティヌス2世の支配下となる
340年 ブリテン島、コンスタンティヌス2世死後跡を継いだコンスタンス1世の支配下となる
350年 ブリテン島、コンスタンス1世に背き皇帝を称した将軍マグネンティウスの支配下となる
反乱は同年中にコンスタンティウス2世により鎮圧される
353年 コンスタンティヌス2世、マルティヌスを管区代官とし「鎖のパウルス」捕縛に当たらせるが失敗。この過程で属州に不満が蓄積
355年 ユリアヌスが副帝となりガリアとブリテン島を支配下とする
367-368年 「蛮族の共謀(Barbarian Conspiracy)」事件。ピクト人、スコット人他諸勢力が一斉に侵攻し大規模な破壊
368年、将軍テオドシウス(後の皇帝テオドシウス1世)がブリテン島に派遣され鎮圧
383-388年 将軍マグヌス・マクシムスがグラティアヌス帝に反乱、ガリアで皇帝を自称しブリテン島も支配下に置く
ブリテン島駐留ローマ軍の大部分がマクシムスによって大陸へ移動
392年 将軍アルボガストがウァレンティニアヌス2世を除きエウゲニウスを皇帝に擁立
この反乱に際してブリテン島の駐留軍が動員され属州の要塞が多数放棄される
398年 将軍スティリコ、ブリテン島へ遠征しピクト人を撃退
402年 将軍スティリコによりブリテン島駐留軍の大部分が大陸へ撤収させられる
406年 ブリテン島残留軍により軍人のマルクスが皇帝に擁立される
407年 マルクスが廃され新たにグラティアヌスという人物が皇帝に擁立される
グラティアヌスが廃され新たにコンスタンティヌスという人物がコンスタンティヌス3世として皇帝に擁立される
407-411 大陸に進軍したコンスタンティヌス3世、アルルに宮廷を開き、409年にホノリウスにより共同皇帝に認められるが411年敗死
409年 ブリテン島でコンスタンティヌス3世の支配に対し反乱が勃発、総督ら役人を追放しローマ帝国の統治から離脱する
410年 ホノリウス帝、ブリトン人に自衛を促す勅書を出したと伝わる
446-454年頃 ブリトン人から西ローマ帝国の将軍アエティウスへ救援の訴えが送られる
450年代 アングロ・サクソン人のブリテン島移住が本格化
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参考文献