「ブリタニアの破壊と征服について」(ギルダスの著作)

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「ブリタニアの破壊と征服について(ラテン語: De Excidio et Conquestu Britanniae,英語: On the Ruin and Conquest of Britain)」、通称「ブリテンの荒廃について(On the Ruin of Britain)」はブリテン島の修道士ギルダスが540年頃にラテン語で書いた、同時代のブリテン島の君主や聖職者らを批判する説教集。ローマ帝国撤退後の五世紀初めから七世紀までのブリテン島とアングロ・サクソン人の歴史については殆ど文献が残っておらず、五世紀から六世紀にかけてのブリテン島の出来事について同時代の人物によって書かれた現存する唯一の文献史料である。

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概要

「ブリタニアの破壊と征服について(ラテン語: De Excidio et Conquestu Britanniae,英語: On the Ruin and Conquest of Britain)」

「ブリタニアの破壊と征服について(ラテン語: De Excidio et Conquestu Britanniae,英語: On the Ruin and Conquest of Britain)」(フランス・アヴランシュ図書館収蔵、Avranches, Bibliothèque municipale, MS 162)
Credit: ThêtaBlackhole, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

著者ギルダスの経歴については十一世紀にフランス・ブルターニュ地方リュイの修道士が書いた伝記と十二世紀にウェールズ地方の修道士サンカルヴァンのカラドク(Caradoc of Llancarfan)が書いた伝記とが存在しているがどちらもギルダスが生きていた時代から600年以上経って書かれたもので、基本的に事実に基づかない後世の創作とみられている。十世紀頃の原本を元にして書かれた十二世紀頃の写本が現存する、ウェールズで編纂された「カンブリア年代記」では570年(1Ingram, James,(1912).Medieval Sourcebook: The Annales Cambriae (Annals of Wales).Fordham University.)に亡くなったとの記述がある。詳しい生涯は不明だが、五世紀後半から六世紀後半頃の間に生きた、イングランド西部出身の修道士と考えられている。

「ブリタニアの破壊と征服について」は540年頃に書かれたとみられ、執筆意図についてギルダスは「私の目的は、勇敢な兵士が被った野蛮な戦争の危機について語ることではなく、怠惰な者達が引き起こした危機について語ることである」(2” It is not so much my purpose to narrate the dangers of savage warfare incurred by brave soldiers, as to tell of the dangers caused by indolent men. “(Gildas, The Ruin of Britain &c. (1899). pp. 4-252. The Ruin of Britain.)と序文で述べており、世俗的・宗教的な同時代人の堕落とブリテン島社会の危機に対する批判のために執筆された。あくまで改悛の必要性を訴えることが目的のため、記述内容は必ずしも事実に基づいているとは言えず歴史史料としては問題が多い(3ロイン、ヘンリー・R.(1999)『西洋中世史事典』東洋書林、170頁)。

現存する写本は以下のものがある(4De excidio Britanniae • CODECS: Online Database and e-Resources for Celtic Studies)。

  • London, British Library, MS Cotton Vitellius A vi(5Cotton MS Vitellius A VI.London, British Library.)
  • Avranches, Bibliothèque municipale, MS 162 [s. xii] ff. 48r–63v
  • Cambridge, University Library, MS Ff. 1. 27 pp. 1-40, 73-252 [s. xii] ff. 1–14(6MS Ff.1.27 (MS Ff.1.27).Cambridge, University Library)
  • Cambridge, University Library, MS Dd I 17 [s. xiv–xv] ff. 83r–93v (section B)
  • Copenhagen, Det Kongelige Bibliotek, MS Acc. 2011/5 = Courtenay compendium

「ブリタニアの破壊と征服について」の写本として現存する最古のものが十一世紀頃に作られたロンドン大英図書館収蔵の”MS Cotton Vitellius A vi”だが、1731年、収蔵されていたコットン卿の図書館が火災にあい一部が焼失している。コットン卿の図書館火災事件は「アルフレッド王の生涯」や古英語叙事詩「モールドンの戦い」など多くの歴史的文献が焼失するという英国史研究史上非常に大きな被害を及ぼした火災事件であった。

主な内容

全三部構成で第一部では、ローマ帝国による征服からギルダスの時代までのブリテン島の歴史が語られ、アングロ・サクソン人のブリテン島侵攻に至る経緯、対アングロ・サクソン戦争を指揮したという将軍アンブロシウス・アウレリアヌスや、バドン山(モンス・バドニクス)の戦いでのブリトン人の勝利についての記述などがある。第二部は、同時代のブリテン島の五人の君主たちの様々な罪を非難するもので、第三部も同様に当時のブリテン島の聖職者に対する批判が展開されている。

第一部ではローマ時代からギルダスの同時代にあたる六世紀頃までのブリテン島の歴史が概観されるが、四世紀終わり頃からのスコット人とピクト人の脅威についての記述が多い。後世の文献で繰り返し参照される有名な記述として、ローマ軍撤退後、ピクト人とスコット人の脅威に対抗するためブリトン人の「高慢な暴君」は賢人会(ウィタン)の支持を背景にサクソン人を傭兵として招くが、彼らは仲間を呼び寄せてブリトン人を凌ぐ勢力を確保するようになった。後にベーダアングル人の教会史」(731年)や「ブリトン人の歴史」(九世紀初め頃)、「アングロ・サクソン年代記」(九世紀末)などでこのエピソードは膨らまされて「高慢な暴君」はブリトン人の宗主ヴォルティゲルン、サクソン人傭兵の指導者はヘンギストとホルサの兄弟という名前や経歴が付け加えられた。

同じく第一部ではローマ人貴族アンブロシウス・アウレリアヌス(Ambrosius Aurelianus)がブリトン人を組織してサクソン人の侵攻に対抗し、ブリトン軍はサクソン軍に連勝、バドン山(モンス・バドニクス)の戦いでの勝利まで続いたという後にアーサー王物語に発展する逸話が初めて語られる。アンブロシウス・アウレリアヌスはブリトン人による抵抗の指導者だが、バドン山の戦いの指揮官は明言されておらず、九世紀初めごろの「ブリトン人の歴史」で初めてこの指導者としてアルトゥール(アーサー)の名が登場する。ギルダスは執筆当時バドン山の戦いから44年と1ヶ月が経過したといい、この勝利で現在は対外戦争は無く国内の戦闘に留まっており平和を享受しているという。

第二部で批判されている五人の君主としてダムノニアのコンスタンティウス、アウレリヌス・カニヌス、デメタエの公子ヴォルティポリウス、クネグラスス、アングルシーのマエルグンの名が挙げられている。このうちデメタエの公子ヴォルティポリウスがダヴェッド王国の王として後世の複数の系図や碑文にウォテポリクス(ラテン語:Voteporix)あるいはヴォテコリガス(オガム文字碑文のゲール語形:Votecorigas)などの名で知られる人物と同一人物の可能性が指摘されており、またアングルシーのマエルグンが後世の様々な文献にも登場するグウィネズ王マエルグンと同定されているが、他の三人は諸説あり定かではない。

参考文献

脚注