アフィントンの白馬

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アフィントンの白馬(Uffington White Horse)はイングランド南部オックスフォードシャー州バークシャー・ダウンズにある丘陵ホワイトホース・ヒルの傾斜地に表土を掘って白い石灰岩を露出させることで描かれた白亜(チョーク)の馬の姿のヒル・フィギュア(地上絵の一種)。青銅器時代後期、紀元前1400年から前600年頃の間に作られたとみられている。

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アフィントンの白馬とは

「アフィントンの白馬空撮」

「アフィントンの白馬空撮」
Credit: USGS, Public domain, via Wikimedia Commons

ヒル・フィギュア(Hill figure)は丘陵地の斜面の表土を掘って地層を露出させることで模様を浮かび上がらせる視覚的表現で地上絵の一種である。特にイングランドに多く見られ、ブリテン島南部に特徴的な石灰岩の地質を使って白亜(チョーク)の白色で巨大な動物や巨人の絵を浮かび上がらせる表現が青銅器時代後期以降多く登場した。

アフィントンの白馬はこのような白亜(チョーク)によるヒル・フィギュアの代表的な例の一つで、イングランド南部オックスフォードシャー州バークシャー・ダウンズにある丘陵ホワイトホース・ヒルの西向きの斜面に抽象化された線画による馬の側面図が頭部を右向きにして描かれている。馬の尾から耳までの長さは約111メートル、高さは約40メートル。幅1.5〜3メートル、深さ60センチメートル〜1メートルの溝が掘られ、白亜(チョーク)で埋めて白色が出されている。頭部には「くちばし」とよばれる特徴的な二本の線があるが、近年の調査でその形状は以前からかなり変化してきていることがわかっている(1The White Horse hill figure 170m NNE of Uffington Castle on Whitehorse Hill. Historic England.)。

1995年、オックスフォード考古学ユニットによって、馬の体部の下部二層と底部近くの別の切り口から採取された土壌堆積物の光ルミネッセンス(OSL)年代測定法による検査が実施され、白馬像が描かれた年代は紀元前1400年から前600年の間、つまり青銅器時代後期か鉄器時代初期のものであることが判明した(2Haughton, B. (2011). The White Horse of Uffington. World History Encyclopedia.)。白馬像の南西170メートルには紀元前七世紀から八世紀頃に築かれたヒルフォート(丘砦)・アフィントン城があり、近隣のレットコム・バセット(Letcombe Bassett)村からはアフィントンの白馬の制作年代と同時期の紀元前1000年頃の集落跡なども見つかっておりアフィントンの白馬像との関わりがあるとみられている(3Picheta, Rob (2019). “Victims of ‘human sacrifice’ found by engineers laying water pipes“. CNN. )。

由来を巡る伝承と太陽信仰説

「ホワイトホース・ヒルに隣接するドラゴン・ヒル」

「ホワイトホース・ヒルに隣接するドラゴン・ヒル」
Credit: Philip Halling / Dragon Hill / CC BY-SA 2.0

1072年から1084年にかけて編纂されたアビンドン修道院の文書集(Cartulary)にあるアフィントンの白馬の丘についての言及がアフィントンの白馬に関する最初の記録である(4Plenderleath, W.C., Rev. (1892). The White Horses of the West of England. London, UK: Allen & Storr. p.8.)。以後、この白馬の由来について様々な伝承が語られた。

十八世紀の歴史家フランシス・ワイズ(Francis Wise,1695-1767)はウェセックス王アルフレッドがデーン人(ヴァイキング)に勝利した871年のアッシュダウンの戦いで戦勝を記念して描かれたものだとした(5高橋博(1993)『アルフレッド大王―英国知識人の原像』朝日新聞出版、朝日選書、43-44頁)。あるいは、十七世紀の好古家ジョン・オーブリー(John Aubrey)は最初に兄弟でブリテン島へ移住してケント王国の初代王となったという伝説のアングロ・サクソン人ヘンギストが白馬を紋章としていたとしてアングロ・サクソン時代に作られたという。また、ケルト神話の馬の女神エボナあるいはウェールズ伝承の馬の女神フリアノンへの信仰によるものという伝承もある。

描かれているのは白馬ではなくドラゴンであるとする伝承もよく知られており、白馬像の真下にある小高い丘はドラゴン・ヒルの名で呼ばれ、聖ゲオルギウス(聖ジョージ)がドラゴンを殺した場所であるという。またドラゴンの体から血が流れ出し、その場所に草が生えないように毒を盛ったとか、ドラゴンは丘の下に埋められているといった伝承も残されている他、伝説のアーサー王の父ウーサー・ペンドラゴンの遺体が埋められているともいわれ、これらは地元の伝承として愛されている(6White Horse Hill Uffington | Visit Faringdon)。

「飼い葉桶(The Manger)と呼ばれる谷地」

「飼い葉桶(The Manger)と呼ばれる谷地」
伝説では夜になると白馬がここで草を食むという。
Credit: Frasmacon, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

これらの伝承に基づく説はいずれも白馬像の制作年代よりも新しい時期に起源を求めており伝承の域を出ない(7エポナ信仰は古くとも一世紀頃にガリア(フランス)からブリテン島へ入ってきたものである(Haughton, B. (2011)))。白馬像の目的や起源は諸説あって定かではないが、なんらかの儀式や信仰に基づくものと考えられている。

考古学者ジョシュア・ポラード(Joshua Pollard)は2017年、インド・ヨーロッパ語族の神話にみられる「太陽の馬(sun-horse)」を描いたものとする説を唱えた(8Pollard, Joshua. (2017).The Uffington White Horse geoglyph as sun-horse. Antiquity , Volume 91 , Issue 356 , April 2017 , pp. 406 – 420.,DOI: 10.15184/aqy.2016.269)。この神話では太陽が馬に乗るか、馬に引かれて戦車で空を横切ると信じられており太陽の戦車を引く馬をモティーフにした絵画や彫刻などは新石器時代から青銅器時代に各地で発見されている。ポラードは、真冬に向かいの丘からアフィントンの白馬を観察すると、太陽は馬の後ろから昇り、日が進むにつれて馬に近づき、最後には馬を追い越すように見えることを発見した。このような太陽が空を横切る動きを躍動的な白馬像に仮託した太陽信仰に基づく遺跡であるとする説は現在有力視されている説の一つとなっている(9Pollard(2017)/POWELL, ERIC A. (2017).White Horse of the Sun. Archaeological Institute of America.)。

「巨人の階段(‘Giant’s Stair’)という名の段丘」

「巨人の階段(‘Giant’s Stair’)という名の段丘」
中世の農耕の痕跡と言われる
Credit: Frasmacon, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

スクーリング祭(scouring festivals)

「白馬のメンテナンス作業の様子」

「白馬のメンテナンス作業の様子」
Credit: Dennis simpson, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

白馬の姿が見えるようにするため定期的なメンテナンスが必要で、彫られた部分を白く保ち草木が生えないようにするために、「スクーリング祭(scouring festivals)」と呼ばれる行事が地元住民の間で伝統的に行われてきた。記録に残る限りでは少なくとも1677年から十九世紀後半まで七年毎に夏至の日に現地住民が集まり草や木を刈り取り、色褪せた白亜(チョーク)を入れ替えるなどメンテナンス作業が行われ、あわせて食べ物や飲み物の屋台、余興、音楽家などが用意され、近隣から人々が集まるゲームなど様々なイベントが含まれるお祭りが行われた。この「スクーリング祭(scouring festivals)」の歴史はかなり古くまで遡る可能性があると考えられている。

1929年、「指定遺跡(Scheduled monument10英国の「古代遺跡および考古地域法(Ancient Monuments and Archaeological Areas Act 1979.)」に基づく保護対象となる古代遺跡の保護分類。指定遺跡に登録されるとイングランドの歴史環境保護を目的とした英国政府の外部公共機関であるヒストリック・イングランド(Historic England)の管理下で最大限の保護が与えられる。(久末 弥生(2017)「イギリスの考古遺産法制と都市計画—イングリッシュ・ヘリテッジに着目して—」(『創造都市研究 e. 12 巻 1 号』, p.1-8.))」に登録されて政府の保護下に置かれ、1936年に現在の姿に統一されたあと、第二次世界大戦中はドイツ軍戦闘機の目印となることを恐れて覆い隠された。ヒストリック・イングランド(Historic England)の保護下となった現在はヒストリック・イングランドの手によって修復とメンテナンスが行われているが、同時に自然保護団体ナショナル・トラスト主催で毎年夏にボランティア活動の一環で伝統的な「スクーリング祭(scouring festivals)」が開催され清掃とメンテナンスが行われている。

参考文献

脚注